2013年10月5、6日に1泊2日、50年会有志8名で、新島八重さんゆかりの地に行ってきました。
会津の歴史と文化と味を知り、八重さんの生誕から成長、京都に来てからの生き様を知る旅になりました。メンバーの畑中氏が綿密な計画を立てて下さり、中身の濃い、楽しい2日間でした。
旅の行程は5日8時にジャンボハイヤーで東京駅を出発し、途中、大内宿(会津城下と日光を結ぶ宿場町)へ;
テレビで見て、一度食べたいと思った、有名なネギ蕎麦。ネギ1本でも、ネギが程良く曲がっていて、案外上手に食べられました! 囲炉裏で焼いたイワナ・骨酒・とち餅も食べ、どれも美味しくて満足、満腹。
↓会津若松市内に入り、まず会津塗の店へ; 高価な品が陳列された土蔵のギャラリーでは明治のままの立派な梁の下で、ご主人に会津塗の歴史も聞かせて頂きました。
↓会津の旅の最初は、会津武家屋敷; 戊辰戦争で焼失した西郷頼母(大河ドラマでは西田俊之が演じた)の屋敷や歴史的建造物が再現されていました。家老屋敷の38部屋に歴史を感じました。
↓本日の宿、東山温泉“千代滝”に到着; 景色良い露天風呂を楽しみ、夜の宴会は、東山芸者さんの綺麗な踊 りを見ながらの、種類豊富な地酒を堪能。末廣酒造の八重さんキャラクターのお酒は洋装のラベルと、6本に1本という袴姿ラベルの両方を飲みほしました。ど れも皆美味しい地酒でした。勿論、その後もお部屋に移って宴会が続いたことは言うまでもありません。
翌日6日、前日の曇り空から一変、秋の素晴らしい晴天になり、8時に宿を出発。
↓八重さんの生誕の地に直行; そこには同志社建立の碑があり、生家は駐車場になっていましたが、鶴ヶ城まで、八重さんは、お堀の横を走り、敵が攻め込むと落とされると言う、赤い欄干の廊下橋を渡り、城内に入ったとのことで、情景が目に浮かぶようでした。
↓いよいよ鶴ヶ城へ入城; 会津弁で愉快に解説して下さるボランティアガイドさんに案内され見学。戊辰戦争で荒れ果て、没収されても、会津の方々が買い取り、再建された郷土愛を痛切に感じました。大雪に強い赤瓦の天守閣の前で、記念撮影。
石垣の組み方も数種類あり、東北の地震にも崩れなかったとの事。今はない大手門の柱の跡の石垣に掘られた十 字架。「荒城の月」の歌詞を作った場所もあり、ガイドさんと全員で合唱、そこからはきっと夜は月もさぞかし綺麗に見えた事でしょう。蒲生氏が京都からの、 利休の後の茶道も受け継がれた、茶室も拝見。
↓続いて御薬園(おやくえん); 鶴ヶ城近くの、薬草園と立派な松平氏の庭園。この薬草園では朝鮮人参の栽培に成功し、赤い実がなっているのを初めて見ました。お庭の池の大きな鯉に餌をあげ、お殿様気分も味わえました。
↓昼食はお味噌の満田屋(みつたや)で; 美味しい焼き田楽三昧。次女さんが同志社OGとの事で驚きました。
↓いよいよ飯盛山 白虎隊のお墓; 若くして亡くなった忠義と悲運の白虎隊にお線香をあげました。珍しいサザエのつぼのようなお堂も見学。それぞれの場所で会津の言葉でボランティアガイドさんの熱弁で案内して下さり、親切な温かさを感じました。
↓最後は日新館; 八重の兄の山本覚馬さんも勉強し、教えた、会津の学校。
日本最古のプールもあり、教育の大切さを感じました。
「ならぬことは、ならぬ」の会津の強い意志、郷土愛、会津の方々の親切、またドラマのお陰もあり、同志社と言うとより温かく迎えて下さる気がして、身近に会津を感じられた、充実した旅でした。
そして何より、八重さんの意志の強さは、会津に育てられ、ハンサムウーマンに繋がる事を知った旅になりました。
今回参加出来なかった方も、八重さんの会津を少し味わって頂けましたでしょうか。
ですが、この楽しさは参加してみないと分かりません。次回のイベントには多数のご参加、お待ちしています。
(文学部 浅野つね子)