38懇話会幹事:奥山
開催日時:2013年6月4日(火)13:30~16:00
開催場所:同志社大学東京オフィスセミナールーム
2人の講師を迎えて合計22人が参加して開催された。
1.講師:別所博三氏 『天皇は神でしょうか?』
・歴史に大変興味を持っていて各地の歴史的建造物を訪ね歩いたりしているが、現在は奈良市文化大学で歴史関係の勉強をしており、毎月約10日間は通学のため奈良に滞在する生活をこの5年間続けている。
・大学では文化財歴史学科に所属して、「歴史教科書の基になる史料」の研究を進めている。その内容は古文 書学、古記録学、考古学、木簡や金石文等の史料学、古事記・日本書紀・万葉集等の”本文“での読解、平安・中世・江戸の各文学研究、明治維新の歴史的背景 まで多岐にわたっている。
歴史を知るには古事記・日本書紀等の研究も大事であるが、それらは“作られた”部分も相当あるので、いろいろの人が書いた日記、地中に埋もれていた木簡等あらゆる史料を総合して各面から考察することが大切だと感じている。
・それらの中で最も興味のある時代は飛鳥・奈良時代で、今日の講演もその時代の天皇家の系譜、親子・兄 弟・親族間での凄まじい権力争い、またそんな中にあって天皇家とは無縁の一豪族であった藤原氏が天皇家に取り入り、その関係が明治維新まで五摂家(近衛、 九条、二条、一条、鷹司)や北白川家、冷泉家といった形で綿々と続いてきた歴史を話してもらった。
・38代天皇:天智天皇、その子39代:弘文天皇(大友皇子)、40代:天武天皇(天智天皇の 弟)、・・・45代:聖武天皇、・・・49代:光仁天皇、50代:桓武天皇と続く間の天智系→天武系→天智系という権力の移行過程で幾度も繰り返された血 塗られた歴史が凄い。天皇家(王家)の歴史というものはどこでもそういったものがあるが、人間の行動というものは飛鳥・奈良時代も現代も何も変わっていな いということを痛感している。
「天皇は神であろうか?」自分を神といわせた天武天皇、古事記・日本書紀のなかで神となった神武天皇、死去 して1400年後に神となった天智天皇、同じく1200年後の明治時代に神となった弘文天皇等いろいろのケースがある。明治天皇は14歳で天皇になり周囲 から”現人神“とされたが、これは明治政府のベースともなった皇国史観に基ずくところが大であったと考えられる。
・橿原神宮、近江神宮,御岳神社、清見原神社、平安神宮などは飛鳥・奈良時代の天皇を神祭としている神社であるが、いずれも創建は明治になってからである。橿原神宮が建てられたのが明治時代だということを地元の奈良の住人が知らなかったのには驚いた。
2.講師 : 諏訪順一氏『秩父宮雍仁親王登山記録』
・秩父宮のこと、とりわけその登山に関して興味を持つようになった経緯はつぎのとおりである。インドネシ ア駐在時代に中央アジア、インド等の歴史の勉強を始めたが、ある会で秩父宮(および勢津子妃殿下)担当の宮内庁職員と親しくなり、その人から「秩父宮の山 登り感想文」という本を借り、その内容に興味を引かれたのが始まりである。
・今日の講演では秩父宮の幼少時代から昭和初期(30歳半ば)までの登山、スキー行の記録を極めて詳細に 調査したものを披瀝していただいた。宮が登山した山、スキー場は極めて多いが、国内では昭和2年8月の8日間、北アルプスの穂高(奥、前、北)、槍ヶ岳等 の登山が特筆されるが、このときの模様は皇族間の雑誌「近き御垣」に“山の旅”として掲載されたが、同内容は英国山岳会の機関誌であるAlpine Journalにも“Eight days in the Japanese Alps”として載せられるという記念すべき登山であった。これが縁で秩父宮は翌年、同会から「アルパイン・クラブ名誉会員」に推挙されている。
・海外の登山では何と言っても大正14年8月、9月に行ったヨーロッパ・アルプスの連続登山が圧巻であ る。27日間で有名なマッター・ホルン(4505m)を初めとする 約20もの山を、しかも殆どが3000~4500mという高い山ばかりを踏破している ことである。その気力、体力には本当に驚かされる。
・秩父宮は単に登山、スキーをこよなく愛しただけではなく、登山途中で周りの人々に施した気使いの素晴ら しさ等がいろいろの書物や記録から窺える。秩父宮に関する文献の一つとして保阪正康氏(38会員)の「秩父宮と昭和天皇」(文芸春秋)、「秩父宮-昭和天 皇弟宮の生涯」(中公文庫)が紹介された。
以 上