同志社東京校友会

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同志社東京 歩こう会 同志社東京 歩こう会

サークル活動

同志社東京 歩こう会

日  時:2013年2月7日(木)
集合時間:10時  天候 晴
集合場所:JR根岸線 山手駅
参加人員:19名
案 内 人:宇野多恵子(53商)
歩行距離:約6.0 km

《コース》
JR根岸線山手駅 ⇒ 柏葉公園(体操・点呼)⇒中華儀荘(南京墓地) ⇒ 共立学園 ⇒ 中華街(昼食)⇒ 日本における新聞誕生の地碑 ⇒ 関帝廟(かんていびょう) ⇒ 山下町公園⇒ 媽祖廟(まそびょう)(解散)
希望者のみオプションで「我国西洋歯科医学勉学の地」碑

中華儀荘(南京墓地)
外国人墓地は有名だが、ここは観光客もあまり訪れることがない。山手の高台にあって、華僑の人達が祖先を大切にしていることがよくわかる閑静な祈りの場である。明治時代に建てられたレンガ造りの地蔵王廟(墓地の霊廟)は、まさに中国を思わせる。


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中華儀荘にて


共立学園
本校舎は、同志社のアーモスト館と同じウイリアム・メレル・ウオーリズによる建築。35年間校長を務めたクララ・グリーン女史は、一時期同志社女学校でも教えている。敷地内に、「新約聖書和訳記念之地」碑がある。残念ながら、非公開である。


中華街
1859年の横浜開港後、香港、広東、上海から欧米の商人は、日本人と筆談できる中国人を伴って、来日し た。その後、洋館の建築、西洋家具、欧文印刷、洋裁などの技術者が来日し、中国人街を形成していった。今は料理店が多いが、当初は異なった。関東大震災や 日中戦争などの苦難の歴史があったが、1955年善き隣人という思いを込めて善隣門が建てられた。


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中華街門

世界中にチャイナタウンは多いが、そこでは中国人相手の商いをするのがほとんどなのに対して、日本の中華街を訪問する95%は日本人という。


「日本における新聞誕生の地」碑
1864年ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)が日本初の邦字新聞「海外新聞」を発行した。その居館跡。彼は新島襄のアメリカからの連絡の窓口にもなった。


関帝廟(かんていびょう)
三国志でも有名な関羽が祀られている。関羽は武将として長けているだけでなく、昔の中国の簿記の発明者で、義を重んじ誠を尽くし約束を守る精神から商売の神様となっている。

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関帝廟


山下町公園
清国領事館跡。春節祭の獅子舞の会場となる。


媽祖廟
2006年建立の、海の女神、媽祖を祀る道教寺院。

解散後訪ねた、馬車道近くの神奈川県歯科医師会の前の「我国西洋歯科医学発祥の地・西洋歯科医学勉学の地」碑には、新島襄を治療したという説明文がある。ただし、この場所がゆかりの地というわけではなく、本来の場所は山下町。


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西洋歯科医学発祥の地碑

春節祭を二日後に控えて、普段より華やかな様子を見学した。横浜特有のアップダウンの多いコースだったが、天気にも恵まれて、元気に歩けた。

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