日 時:2013年3月19日(火)
集合時間:10時 天候 晴
集合場所:東京メトロ(銀座線・半蔵門線)
青山一丁目 3~5番出口改札前
参加人員:32 名
案 内 人:郷農恭子(38文)
歩行距離:約 6 km
《コース》
東京メトロ青山一丁目⇒高橋是清記念公園(体操・点呼)⇒赤坂サカス⇒日枝神社⇒アークヒルズ ⇒(昼食)⇒ 氷川神社 ⇒ 勝海舟邸跡 ⇒ 檜町公園⇒ 六本木(解散)
メトロ青山一丁目駅を出発、青山通りを赤坂方面へ向って歩き始める。通りの向こうには赤坂御用地の美しく整 えられた木々が見える。道筋には外国の高級食器やフアッションのショーケースが楽しい。数分でカナダ大使館に隣接する高橋是清翁記念公園に到着した。一角 にある児童公園に集合、点呼の後平岡先輩の指導による体操で身体をほぐし、園内をめぐり、青山通りを行く。
高橋是清翁記念公園
この地は昭和11年 2・26事件の際83歳で世を去った高橋是清邸跡が記念公園になっている。当時大蔵大臣であったが、大正期には総理大臣兼大蔵大臣、日銀副総裁も歴任。公 園内は良く整備されていて往時の姿を残し、池を中心に翁の銅像、石灯篭、石像等が配置され、隣接するカナダ大使館も邸の一部であった。
赤坂弓道場跡を経て先へと急ぐ
赤坂警察、虎屋東京店を過ぎ眼前には近代的なビル群や取り壊し中の元の赤坂プリンスも見えてくる。一ツ木通りから赤坂サカスへと向かう。そこでは例年になく早い桜の開花が幸いして道筋に植えられた桜の花を楽しみつつ歩き、赤坂サカスから山王日枝神社へと向う。
赤坂サカス
TBS放送センター、赤坂Bizタワー、ACTシアター、赤坂BLITZなどからなる複合施設である。敷地内には100本の桜が植えられている。
日枝神社
江戸の総鎮守として、庶民の間で「山王さん」と呼ばれ親しまれている。太田道灌が江戸築城に際し、川越よ り日枝山王権現を移し江戸城の守りとした。本社の守りの使いは猿とされており、拝殿前には雄雌の猿の像が立っている。「猿」は「魔が去る」として厄除け、 魔除けの信仰を受けている。山王神社は高い所にあり、エスカレータで上がるようになっており、高齢化時代に対応している。
日枝神社拝殿前にて
アークヒルズ
森ビルを中心に再開発して生まれた都市空間。ここには七つの庭がある。カラヤン広場、サントリーホール、 朝日放送もあり桜の名所としても知られ、手頃なレストラン、カフェ等もある。ここアークヒルズにて昼食休憩をとる。各自昼食を楽しみ、再集合のあとは霊南 坂から桜坂へと歩き、3~5分咲きの桜を眺めながら南部坂へと向かう。
南部坂
忠臣蔵では、吉良邸討ち入りの前日に訪れた大石内蔵助を浅野内匠頭夫人瑶泉院がこの坂で見送ったとされ「南 部坂雪の別れ」の舞台で有名である。「難歩坂」とも呼ばれるこの坂の石の碑や往時の風情を味わいながら全員頑張って上り、次の目的地氷川神社とその裏にあ る同志社の校祖 新島襄と縁の深い「勝海舟邸跡」を目指す。
赤坂氷川神社・浅野土佐守邸跡
元禄の頃、現在の氷川神社の社地の大部分は浅野匠頭夫人の実家の屋敷で、そこに未亡人が身を寄せていました。この境内には勝海舟ゆかりの四合稲荷神社(しあわせ稲荷)や天然記念物の大銀杏や珍しい狛犬もいくつか見られます。
勝海舟邸跡
安政6年(1859)36歳から明治元年(1868) まで住んでいました。勝海舟の暗殺を企てた坂本竜馬もこの地を訪れています。明治5年(1872) から77歳で没するまで暮らした場所もこの近くにあります。旧邸跡には、地元の好意によるプレートが設置されており、そこには、勝海舟の生前の業績が詳細 に記してありました。
勝海舟邸跡
予定のコースを巡り、最後の目的地へ向って近道を通り、六本木ミッドタウン近くの檜町公園にて解散しました。当日は気温の急な上昇で暑くなり、距離の割には時間がかかりましたが、最後まで完歩できたことはとても嬉しく思っております。
檜町公園にて
(文責 郷農恭子)
【ちょっと一言】
参考資料
本井康博著「新島襄の交遊・維新の先駆者達」には勝海舟と新島襄との関係が書かれております。「同志社大学設立の旨意」のなかに、大隈重信、後藤象二郎、青木周蔵と並べて、「吾人志を翼賛せられ、其れが為に周旋の労を厭わず」という支援者として例示されています。
徳富蘇峰によると「新島先生の墓も亦勝海舟の揮毫」で、表面には「新島襄の墓」背面に「悼新島襄氏長眠 友人勝海舟」とあります。