新島襄の遺徳を偲ぶ 終焉の地 碑前祭
平成29年1月23日(月)大磯にて今年も校祖新島襄終焉の地碑前祭が、
学校法人同志社主催にて召天された14時20分から行われました。
晴天ながら例年にない寒さの中、大谷総長はじめ校友・同窓や中﨑大磯町長はじめ
町民の皆さま120名を超える方々が参列され新島襄の遺徳を偲びました。
司会 学校法人同志社 吉田由紀雄 法人事務部長
讃美歌 312 斉唱
黙祷、讃美歌斉唱に始まり、大谷総長が次のように式辞を述べられました。
総長は、参列への御礼のあと新島襄が今から127年前の1890年1月23日、
46歳11か月の若さで、大磯町の旅館 「百足屋」で永眠。
同志社大学設立を熱望して病を押して日夜奔走したあげくの終焉で八重夫人、徳富蘇峰、
小崎弘道3名の立会いのもと遺言を蘇峰に後述筆記させた。
学生たちを深く気遣い「吉野山 花咲く頃は朝な朝な 心にかかる峰の白雲」 という詩を書かせ、
しばらくして 「天を怨まず、人をとがめず」 という最後の言葉を残して天に召されたと伝えられています。
新島襄が亡くなってから127年、学校法人同志社は14の学校、4万3千人を擁する一大総合学園に発展。
グローバル、少子化の時代に直面して厳しい環境の中、更なる発展・深化を願い
世界に羽ばたく同志社を目指すと挨拶された。
式辞 学校法人同志社 大谷 實 総長
続いて中﨑大磯町長がご挨拶では、
大磯町は、「子育て」「教育」「健康」「観光」の4つの重点施策を掲げていること。
新島先生が、病の中ここ大磯町から人を育てる「良心教育」を発信されたこと。
新島襄先生の終焉の地であることは大磯の誇りであり、「子育て」「教育」への大きな道標であること。
新島先生が大磯の子供たちを暖かく見守っていただいているような気がする。
そして終焉の地碑が大きな文化資産・レガシーになっていることに感謝していますと述べられた。
ご挨拶 大磯町 中﨑久雄 町長
卒業生団体を代表して同志社校友会児玉東京支部長は、卒業生を代表して一言挨拶と付言して
1864年21歳の時、函館から海外密航して死没までの25年間に、岩倉欧米使節団の通訳として随行や
10年間の海外生活によりキリスト教主義による「市民生活」の重要性を体得。
帰国後死没までの15年間に全国津々浦々を伝道、1884年には募金と静養を兼ね欧米を旅行するなど、
あの時代に短い生涯で地球を2周された。
国内外通じて極めて精力的に行動された先導者であった。
教育を通じて「人物を養成する。まさに良心教育」に一生をささげられた。と挨拶された。
挨拶 校友会東京支部 児玉正之 支部長 (東京校友会会長)
碑前への献花の後、大磯町詩吟連盟の皆さまによる詩吟・和歌朗詠で、
新島襄作の「寒梅詩」「送歳詩」「いしかねも」 が披露された。
そしてカレッジソング斉唱でお開きとなりました。
詩吟・和歌 朗詠 大磯町詩吟連盟のみなさん
献花 大谷 實 総長
中﨑久雄 大磯町長
児玉正之 東京支部長
校友会神奈川県支部 竹村慶三 支部長
同志社同窓会東京支部 加藤聖子 支部長
毎年終焉の地碑前祭に参加していますが、総長・町長・児玉支部長の情熱的な挨拶もあって
例年以上の厳粛かつ清々とした感銘深い碑前祭でした。
文責/竹村慶三 〔1970年(昭和45年)法学部卒〕
写真/新田博伸 〔1977年(昭和52年)法学部卒〕