同志社東京校友会

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サークル活動

同志社東京 歩こう会


日  時:2014年4月23日(水)10時~
集合場所:田園都市線三軒茶屋駅 中央改札口
天  候:晴れ
参加人数:30名
案 内 人:半田 久(32文)
歩行距離:7.0 km

≪コース≫
三軒茶屋駅 ⇒ 教学院 ⇒ 烏山川緑道 ⇒ 松陰神社 ⇒ 若林公園(昼食)⇒ 世田谷城跡公園 ⇒豪徳寺 ⇒ ボロ市通り ⇒ 代官屋敷(郷土資料館)⇒ 駒沢給水塔 ⇒ 桜新町駅(解散)

昨日までの雨空は何処へやら、好天に恵まれた歩こう会日和となった。
田園都市線三軒茶屋駅に29名が集合、キャロットタワーを経て、レトロな世田谷線電車を横目にホーム脇から出発。

先ず、右側奥に教学院の寺社を見ながら線路脇を歩くここは別名天台宗最勝寺、目青不動像がある。

太子堂駅を右折、烏山川緑道に入る。この道は世田谷北烏山から目黒川を経て東京湾に流れる自然発生の川の暗渠、横切る道々すべてに橋の名がつく。路脇には色とりどり季節の花が咲き乱れ、青空に映えて美しい。

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烏山川緑道

 緑道沿いの小さな公園で体操。暖かな日差しを楽しみながらベンチで読書をする人の姿も。点呼の後、更に緑 道を歩き環状7号線を越えて松陰橋を左折、松陰神社へ。ここには安政の大獄により29歳の若さで刑死した吉田松陰が祀られている。彼の非業の死を惜しんだ 門弟の高杉晋作、山縣有朋、伊藤博文等がこの地に師を葬り、のちにその東側に社殿を建てたのが始まり松陰の墓に詣でたあと、隣接の若林公園で昼食を摂るこ こは毛利家の屋敷跡、国士舘大学の学生や近隣の人達の憩いの場所のようだ。

 再び烏山川緑道に入り、ほどなく世田谷城跡公園に到着。案内板を見ながら歴史の彼方に想いを馳せる。ここは吉良氏旧城の一部を利用して作った公園で吉良領の中心として栄えたが、天正18年豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めた際、北条氏の滅亡と運命を共にして廃城となった。

 城跡の西側丘続きにある豪徳寺へ。門に向かって整然と続く松並木が美しい。馬が通りやすいように根の張らない彦根松を植えたのだとか。

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豪徳寺にて

現在の豪徳寺は江戸時代初期、彦根の大名 井伊直孝の菩提寺として建立され、井伊家墓地には桜田門外の変で 散った井伊直弼と共に殉死した8人が眠っているこの寺は招き猫の伝説でも有名。京都古寺の風情に馴れた眼にもこの風格は見応えがある。願い事成就の猫を 買ったり直弼の墓に詣でたり。

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招き猫の大群

世田谷線上町駅の線路を超えてボロ市通りなかほどの代官屋敷が次の目的地。この建物は江戸時代に代官をつと めた大場家の屋敷で世田谷城が中世の世田谷を代表するとすれば、ここは近世世田谷の中心、茅葺きの表門が当時のまま残され文化財に指定されている。敷地内 の郷土資料館で歴史ビデオなど見ながらしばし休憩。

さて、これで世田谷歴史散歩はおわり。このあとはちよっと今風の街並みを歩く。やがて瀟洒なマンションの脇 に見えてきたのが、頭に宝冠を被った2基の給水塔。これは、大正13年に完成した日本最初の配水塔で、おもに渋谷方面に水を送った。ヨーロッパの古城を思 わせる優れたデザインの双子の塔がトラス橋で結ばれ堂々と聳えている。工事中に起きた関東大震災にも耐え抜いたという。

このあと、ここから始まる水道道を歩き、終点の桜新町で解散となった。少しばかり世田谷の歴史にふれながら辿った1万歩強の道程。参加してくださった皆さまお疲れ様でした。

               文責 半田 久

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