第60号・平成27(2015)年4月15日
同志社ファンを増やす会 発行
hgf02421@doshisha-u.net
1.水谷理事長ご講演記録「志の中で」
- 新島襄永眠125周年 記念講演 -
・講師:水谷 誠氏(学校法人同志社理事長)
・演題:「志の中で」
・日時:2015.1.23 ・場所:聖ステパノ学園海の見えるホール(大磯町)
上記の講演を敷衍・要約した原稿を水谷理事長様より頂戴いたしましたものを分けてお届けしています。
今号は
3.新島の最期・不破ユウ
4.新島夫妻の素顔
<要約> ぜひ、添付の本文をご覧下さい。
3.新島の最期
1889年の冬、新島は群馬県上州に募金活動のために出かけ、体調を崩した。東京へ移り、徳富蘇峰の勧めで大磯の百足屋旅館で静養する。1890年の1月23日、急性腹膜炎で亡くなった。その少し前、12月14日に新島は八重への手紙の後半には、学校と生徒のことを思って「書生が遊びに参り候わば、なにとぞ丁寧に御取り扱い下され、成るだけご馳走もなし下されたく候」と書いている。
1月に八重は新島の体調を心配して大磯に行くと伝えたが、新島は京都の母の世話をして欲しいと断った。しかし、1月20日、八重は大磯にかけつけ、その3日後、新島は八重の手を枕にして天に召されます。
<不破ユウ>について
彼女は同志社病院京都看病婦学校の卒業生で、北里柴三郎の従妹にあたる。前橋教会の牧師の不破唯次郎と結婚。ユウは、新島が前橋で発病したとき、約2週間看病し、大磯にも来て、新島八重、小崎弘道、徳富蘇峰、J・C・ベリー宣教師等と共に新島の最期を看取りました。
4.新島夫妻の素顔
この不破ユウは、八重が亡くなってから新島夫妻を回顧して次のように語り、山室軍平は説教の中で、徳富蘇峰の言葉「先生(新島襄)は厳格、刀自(八重)は快活。先生は慎重、刀自は豪縦」を紹介し、続けて先生は仁者、八重は勇者、先生は君子、八重は女丈夫であると話しています。
(次号の5/1号につづく)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2.神学部・小原克博教授の「建学の精神とキリスト教」 第12回
キリスト教の基礎(4):キリスト教の歴史的展開──日本史の中で
・野本真也同志社¬理事長(当時)に聞く
添付のレジュメを手元に、つぎのURLからインターネット授業をご覧下さい。
(1)野本理事長とのインタビュー
・新島が出会ったキリスト教
・会衆派が大切にしていたのは「自由」である。
・「キリスト教とは何か?」「どうしてキリスト教なのか?」の答えとして仙台で「耶蘇教とは何ぞや?」の題で説教から
・新島は遺言の中で抜けていたことがある。欄外に書かれていたことで「真誠の自由を愛する」がある。
・同志社人に望むこと
・同志社教育とコンピューター
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2)「キリスト教の歴史的展開」-日本史の中で-
・キリスト教は日本にどのように入ってきたのか、どう対応してきたのか。
・1549年 最初の日本に入ってきたのはカトリックであった。
・1637~1638 島原の乱
・江戸幕府は、幕府への反乱を恐れて、キリシタン禁制のを強めた。それが鎖国に向かった。
大弾圧があったので、隠れキリシタンが生まれた。
開国以降の変化
・1873 禁制の高札を撤去して、布教を黙認。厳しい監視は続いていた。
・1889 大日本帝国憲法が発布。第28条に信教の自由が記された。これ以降、キリスト教の布教活動は本格化する。
・なぜ、憲法に「信教の自由」を入れたのか?
キリスト教を信じていなくとも思想的影響を受けていた人
・作家・・・北村透谷、国木田独歩、島崎藤村、有島武郎、正宗白鳥
・社会主義運動家・・・片山潜、荒畑寒村
・民主主義を提唱した・・・吉野作造
・労働組合運動、セツルメント運動を指導した・・・賀川豊彦(牧師)
・婦人運動・・・市川房枝(女性解放運動)
・救ライ運動・・・岩下壮一(カトリック)
<プロテスタント系>
・貧民救済、救世軍・・・山室軍平(同志社で学んだ)
・少年感化や監獄改良運動・・・留岡幸助
・廃娼運動、足尾鉱毒問題・・・木下尚江(作家)
・初期社会主義運動の指導者・・・安部磯雄
近代日本における宗教と文明
・宣教師の宗教観、文明観
・世俗的な知識人(宣教師ではない人)の宗教観、文明観
・近代日本における政教分離
国家神道の儀式を守ると言う前提で宗教の自由を認めていた。キリスト教も国民道徳との距離で許されていた。
・戦争協力へ 国粋主義のうねり
国家神道を中心とした「反西洋」的な文化文明を模索していた。
同志社も例外ではなかった。
学校存続のために妥協して戦争へ協力した。新島の胸像の提出、神殿を作った。現実との摺り合わせから、信念を放棄した。
ある時期、敵性の宗教であるキリスト教に疑いの目があった。
・愛国心と信仰との葛藤
・国家への忠孝(愛国心)とキリスト教信仰は両立しうると考え、説明し
てきた。・・・「日本的キリスト教」の形成することに。
・1941年・・・宗教団体法によって日本基督教団が成立。
・1967年、日本基督教団が懺悔を発表した。
「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」
これに続いて、各宗教団体も声明を出した。
日本社会が、同志社が戦時中にどのような態度を取ったのか、それらを教訓にしたいものです。
**********************
新島襄を良く知り、好きになろう。
新島襄を好きになれば、同志社の良さがもっと見えてくる。
「同志社ファンを増やす会」本部 多田 直彦
**********************