日 時:2014年6月12日(木) 10時 ~
集合場所:小田急線 鶴川駅改札
天 候:曇り時々雨
参加人数:11名
案 内 人:山沢祥吾(36法) 若栗 淳(36経)
歩行距離:2.5 km
≪コース≫
鶴川駅 ⇒ 武相荘 (解散)
前日からの130ミリという大雨で散策は断念せざるを得ませんでした。
それでも11名の方が集まりました。次の機会のお楽しみを含め、このコースの概要ともうひとつのコース、旧白洲邸(武相荘)の見学内容を説明します。
白洲次郎・正子旧宅の説明書
(1)目的地は、寺家ふるさと村とその隣接地神話の里 大和三輪地区の人達が住みついたという、町田市三輪町の里山・谷戸の自然を歩く数キロの道程
です。
寺家村は横浜市、県、国の3者が協力し、昭和62年昔のまゝの自然を残そうと開村された12.3ヘクター
ルの山里です。ここにはホタル、昆虫、小鳥、小動物野草が生存し、今どきこのような自然が、都市化のはずれに残されています。子供の頃の思い出が蘇り楽しみにしている方もおられます。
白洲旧邸の庭
(2)旧白洲邸「武相荘」(ぶあいそう)見学実施白洲次郎・正子の家族が、昭和17年(1942年)に引越当時の鶴川村、茅葺き屋根の住まいのまゝの営みが見られます。
住まいの名称は武蔵と相模の国の境から又無愛想をかけてひとひねりされたものだといいます。
次郎は、当時の総理吉田 茂に請われ秘書GHQの折衝に当たります。正子は鹿児島、樺山元伯爵家の次女で、次郎と結婚、小林秀雄、青山二郎と親交があり、文学、骨董、女性で初めて能舞台と銀座に工芸の店“こうげい”を営み、多方面の行動派で青山に“韋駄天のお正”と命名されるほど現物を自分の目で確かめ見ることをしていたようです。
父愛輔は新島 襄のアーモスト大学の後輩にあたります。又 大磯に別邸をもっていました。60年も引越をせず気に入っていたようです。
白洲旧邸の茅葺き屋根
茅葺き屋根の家は一軒になってしまいました。次郎の愛用の品は、正子の書斎、着物、愛読書、生活の実体が観察できます。両人の高い次元の自主自立の営みが覗かれます。
白洲旧邸の庭にて
次郎が愛した乗用車