潮来あやめと小江戸・佐原の町並み散策
あやめの咲く時季に、水郷潮来十二橋、水郷佐原の古い町並み、
伊能忠敬の旧宅等をめぐり、おまけに酒蔵での試飲が付く散策です。
佐原は水運を利用して、小江戸ではなく「江戸優り(えどまさり)」を強く意識するほどに栄えました。
人々は江戸の文化を取り込み、独自の文化に昇華させたのです。
その面影の残る小野川と香取街道沿いの町並みを訪ねて、
年輪を重ねた肌で感じようというのが今回の散策の目論みです。
東京駅八重洲南口発の高速バス組とJR潮来駅着の電車組の10人が揃ったので、
加藤洲(かとうず)十二橋めぐりの舟に乗り込みました(10時13分)。
すると、いきなりの記念写真撮影。
下船すると写真が張り出してあるので見てくださいとのこと、それがこれ。
撮影のあまりの手際の良さに一同狐に摘まれたままに、舟は小型船外機のエンジンを吹かして
あやめ園のある前川から広い川(常陸利根川、旧名が北利根川)を横切って対岸で停船(10:17)。
十二橋めぐり
そのうちにこの停船が狭い水門を通るためと、船頭さんの話からわかるのだが、
これが加藤洲の閘門(こうもん:水位の異なる水路間を、
水の流れを常に堰き止めながら船を通すようにした対の水門)。
この閘室と言われる一対の水門の間で、常陸利根川と加藤洲水路の
水位差(通過時の揚程は40cm)を調整するという。
閘室に3艘ほどが収容され、隣の舟との間が身近になって、つい声をかけたりして待つこと暫し、
ここからは水深が浅いので船頭さんが竹竿を使って進みます。
近年まで、加藤洲では水路が道代わりでしたが、さすがに水路を挟んだ隣家との往来には
簡単な橋が架けられ、その数が12あったことから十二橋と呼ばれました。
この情景には何も足さない、何も引かない往時をしのぶに十分な風情があります。
60年ほど前にこの地を舞台とした美空ひばり主演の映画「娘船頭さん」のロケ場所を通って、
両岸にマツバギクが咲き誇る水仙橋、見返り橋を抜けて、憩いの橋を過ぎると、
団子も売っている土産屋さんです(10:34)。
食べたくて賛同者がいればすぐにも声をかけたそうーにしている人もいましたが、黙って通り過ぎ、
近辺にあじさいが咲いている番外の13番目のコンクリート製の紫陽花橋をくぐってしばらく進むと、
川幅の広い与田浦川に出ます。
十二橋を過ぎて、舟の動力がどこから人力でなくなったのか定かではなかったのですが、
ここからはスピードを上げるために、うるさくエンジン音を立てて与田浦を進み、
両岸が桜並木の水路を大割閘門へと向かいます。
大割閘門の閘室では目一杯に4艘が詰め込まれます(11:08)が、こういう時の待ち時間は長く、
嫁入り船に出会うのはやはり無理なのかなとそのことばかり思っていると、
やがて広い常陸利根川に出て、嫁入り舟などどうでもよいという
何とも言いようのない開放感を味わいました。
常陸利根川では、あやめ祭りにあわせて土浦港から運行のホワイトアイリス号と、
ずうーっと並行して進みます(11:15)。
もうすぐ船着場という前川水門を潜ると、手漕ぎのサッパ舟(通称:ろ舟)が
こちらに向かって進んできます(11:22)。
なんと、潮来花嫁さんは舟でゆく嫁入り舟ではありませんか。
嫁入り舟に川の中で擦れ違えるという、これはラッキ-!! 一同大満足。
潮来花嫁さんの歌碑の前には、本日の嫁入り舟での両家と船頭さんの名前が書かれていました。
(全国から抽選で選ばれたという事で、地元の人ではなさそうです。)
あやめ園散策
団体客で賑わう昼食を終えたら、自由行動であやめ園の散策です。
その前に記念写真屋に捕まりました。
あやめと聞くと、なぜか口を衝いて出るのが「何れ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」です。
その違いを学習しましたが、残念なことに潮来あやめ園で咲いているのは花菖蒲(はなしょうぶ)です。
JR潮来駅に再集合して佐原の町へ向かいます。
潮来と佐原を掛け持ちするには、バスツアーでなければこの電車に乗るしかありません。
昼間2時間に1本の鹿島線だからなのかICカードの読み取り機はありません。
4両編成でも乗客が結構いるのはあやめ祭り期間中だけなのでしょうか(13:33)。
10分ほどで佐原駅に着きました。
ガイドさんが待機されている佐原町並み交流館(隣が明治洋風レンガ作りの三菱館)へ、
近道では味気ないので小野川伝いに向かいます。
小野川の両側には柳が植わっていて、どこかで見たような景色だわと言う声が聞こえてきます。
・・・さて、京都祇園の白川、倉敷川それとも水郷の柳川なのかな?
閑話休題、なぜか心が落ち着く風景です。
交流館内で町並と歴史の説明を受け、最初の訪問先は、江戸勝りの心意気が凝縮されていて
見逃してはならない山車会館です。
そこは八坂神社の境内にあり、佐原の大祭で曳き廻される山車(だし)が常時2台展示されています。
山車会館
水郷佐原山車会館では、その華々しい独自の文化を垣間見ることが出来ます。
日本神話などから取材した歴史上の人物の大人形やつくりものが飾り付けられています。
まるでトロイの木馬をも連想させます。
山車は、夏祭りに10台、秋祭りに15台が勢ぞろいして、
小野川沿いを佐原囃子の音とともに曳き廻します。
■大きさの比較
▽佐原山車 高さ8m(人形の高さ4~5m)、間口3.2m、奥行き3.8m
▽青森ねぶた 高さ5m 間口 9m 奥行き 7m
全体容積では青森ねぶたに軍配が上がりますが、高さは優ります。
それ故に、障害物を避けるための高さ調節に様々な工夫がなされていて面白い。
この大人形は、江戸時代から明治・大正時代にかけて名人と呼ばれた人形師達によって
技術の粋を集め制作されたものです。
また、飾り物の鯉は、大麦の麦藁が手に入らないことから自ら栽培して、
町内250人が総出で新調したそうです。
佐原の町並み
山車会館を後に(14:53)、今も営業を続けている商家が多いと言う、
古い町並みの説明を聞きながら、伊能忠敬の旧宅に向かいます。
樋(とよ)橋:通称「ジャージャー橋」は日本の音風景百選の一つで、
かつては田んぼに水を曳くためにつくられたものですが、
今は観光用に30分に1度、水を落としています。
伊能忠敬の旧宅と記念館
樋橋の横には江戸時代 全国を測量し精巧な日本地図を作った伊能忠敬の旧宅があります。
伊能忠敬は幼少の時から天文に興味を持っていて、隠居後の50歳にして江戸深川に移り住み、
20歳年下の高橋至時(江戸後期の天文暦学者)に学びました。
正確な地球の大きさがわからないために、日食の予報が数日ずれることから、
2歳(1797年)の時に日本のさまざまな場所で北極星を観測し、見える角度の差と距離から、
地球の大きさを計算することを提案し、蝦夷の地を目指して測量を始め、
結果的に日本地図の作成に至りました。
当時の日本には精度の高い時計がないため、経度を求めるのは緯度と比べて格段に難しく、
忠敬は主に伝統的な日食・月食を使って経度を測定していたそうです。
それにしても、地図の正確さに驚かされます。
伊能忠敬記念館では、忠敬の計測誤差を小さくするための様々な工夫と、
実測でなく想像で描いた箇所とは明確に区別して後世で修正できるように描くなど、
正確さを追求した姿勢を随所に見ることが出来ます。
今回は駆け足だったので、じっくり鑑賞されるのがお勧めです。
東薫酒造
最後の寄り道は、江戸文化が華やいだ文政8年創業の東薫酒造さんです。
船便と水郷地帯の良質な早場米と良質の地下水という、
酒造りの好適な条件のもと190年余酒つくり一筋の歩みです。
折から1品を除き(幻の酒大吟醸叶という)無料の試飲会あり、時間も限られていたので
甘酒も含め数品種立て続けに飲み干しました。
有料だが幻の酒叶は最後に試すのがお薦めとのことでチャレンジしましたが、
ほろ酔い気分で口当たりが良いという印象しかありません。
高価なこともあり食指を伸ばすほどでもなかったので、意表をついてコ-ナ-の隣にある
奈良漬けを購入するに至った次第です。
自宅でさっそく酒の友としてつまんでみることにしましたが、封を開けると
豊潤で上品な香りが食欲をそそり、その時手についた酒粕を思わずペロリ。
取り除くのが惜しくなって袋に戻す始末です。後は言わずもがな、
どんな銘柄のお酒でも美味しく頂ける秘策なのです。
蔵は3階建てになっていて、最上階の3階で米を洗って蒸し、麹と酒母が造られます。
2階は仕込み部屋となり醪(もろみ)が造られて、
1階に貯蔵タンクがあって醪が搾られ酒が出来上がるという、
上から下に向かって酒が出来上がっていきます。
2階には雛人形カルタや囲碁将棋をしている雛人形がありました(16:21)。
恒例の会食は、帰りの電車の便を考慮して、成田で行いました。
年月日:2016年6月12日(日)10:00~20:00
全員が揃う集合場所:潮来
天 候:曇り
参加者:10人
佐原駅からの散策ルート
佐原駅→開運橋→町並み交流館→山車会館→正上→木下旅館→旧油惣商店→忠敬橋→伊能忠敬旧宅
→樋橋→喫茶遅歩庵 いのう→伊能忠敬記念館→東薫酒造→佐原駅→成田駅→「鳥半・魚半」会食後 解散
TEXT / Y.N & T.O
PHOTOS / T.O & Y.N