同志社東京校友会

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東京40会「玉川大師」他のご朱印めぐり

 

月 日    2016年1月10日(日)10:00~19:30
集合場所   九品仏駅近くの浄真寺参道石碑前
天 候    快晴
参 加 者  14名


コ ー ス 九品仏駅⇒浄真寺(九品仏)⇒玉川神社⇒満願寺⇒等々力渓谷(昼食)⇒等々力不動尊

⇒玉川大師(玉眞院)⇒世田谷美術館⇒成城学園前駅(会食)

 

今年の初行事は、パワ―スポットで新年の無事と平安などの願いを祈願できる世田谷区での

ご朱印めぐりです。

秩父34か所巡りは2014年に計6回で踏破しましたが、今回は四国88か所及び坂東33か所の霊場巡りを、

わずか数十分でお参り出来るというありがたい玉川大師玉眞院を、数人の初参加者を得て目指します。


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まずは、浄真寺です。境内は3万6千坪と広く、名木100選、都天然記念物の木々などが植わっていて、

これらの位置は集合場所脇の案内図に記されています(この写真を拡大して、見てください)。

 

浄真寺(九品仏)
山号:九品山、宗派:浄土宗、本尊:釈迦如来、正式名:九品山 浄真寺、別称:九品仏浄真寺

浄真寺は江戸時代中期の元禄11年(1698)に珂碩(かせき)上人が奥沢城跡に完成させた

浄土宗の巨刹だそうです。

 

芝増上寺の別院で、境内には上品堂、中品堂、下品堂の3堂が並び、それぞれに3体ずつ

阿弥陀如来像が納められているので、九品仏(くほんぶつ)と呼ばれています。
参道を100メートルほど行くと総門があります。


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本堂に対峙するように三仏堂が配置されていて、中央に上品堂、右に中品堂、一番左に

下品堂があります。

おもわず「じょうひん、げひん」と読んでしまいましたが、正しくは「じょうぼん、げぼん」です、

が「じょうひん、げひん」の意味もこれに由来するようです。


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ご朱印を頂いたときの資料によると、9体の阿弥陀如来像は、極楽往生の際の九つの階位を表していて、

これらは手の位置などの印相が異なっているのだそうです。


中品仏前の中庭には都天然記念物の樹齢が推定800年と言われる榧(カヤ)の大木があります。

高さ約31m、幹囲約5.4m、枝張最大約18mもあるようです。榧材で作られた碁盤や将棋盤は、

使い込むほどに美しい飴色に変わり風格が増してきます。

 

また、その独特の弾力によって碁石や駒の素晴らしい打ち味を出す絶品なのですが、

榧は直径1mほどの成木になるには300年もかかるため、日本ではほとんど絶滅状態だそうです。
建物や庭はよく手入れされていて、歩いていると心が落ち着きます。

訪れている人が極めてまばらなのは意外でした。

都天然記念物の樹齢300年のイチョウなど、もみじの木も多く紅葉の頃に再度訪れたくなります。

現に、また来ようと言った人がいました。Iさんです。

総門からすぐ右に折れて、名木100選の黒松林を通り等々力3丁目の目黒通りに面した

玉川神社へ向かいます。

車も人通りもなく、厳しい寒さもなく絶好の散策日和です。
おしゃべりしながら歩くこと15分ほどで玉川神社に到着。

 

玉川神社


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玉川神社は明治四十年に村内に奉祀されていた神明社、御嶽社、諏訪社の三社を合祀し、

同時に地名から玉川神社と改称し今日に至っているそうです。

現在の主祭神は、伊弉諾尊(いざなぎみこと)、伊弉冊尊(いざなみみこと)、天照皇大神とあります。
我々の他に参拝者は1人でした。

拝殿の右には獅子が千尋の谷に子を突き落とすという故事に因んだ石獅子像があります。


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次はここから歩いてすぐの満願寺です。

満願寺
山号:致航山、院号:感應院、寺号:満願寺、本尊:金剛界大日如来、宗派:真言宗智山派、

開創:平安末。


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満願寺山門(11時6分頃)

 

山門の印象は名刹・古刹とほど遠い近代的な様相です。門をくぐって境内に入ると、

整然とした空間があり、正面が本堂です。

1970年に落成したコンクリート製の数寄屋造りで、屋根は銅板。左右対称の均整が取れた近代的な境内。

境内に入った瞬間は古刹に来たという感覚はまるでありません。

この建物を設計したのが文化勲章を受章した吉田五十八だそうで、成田山新勝寺本堂(1968年)も

彼の設計です。

どこか新勝寺に雰囲気が似ている感じがしました。
本堂の脇にはお堂があり、日本三体地蔵といわれる一言地蔵尊の一体が安置されています。

この一言地蔵に祈願する際は、心を込めて!一言でお願いすると相談事が成就するそうです。


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次は等々力渓谷です。
この近辺はSさんの地元で、沿道のうまい物店の話を聞きながら、パワースポットとして人気の

渓谷へ向かいます。

 

等々力渓谷


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都心とは思えない等々力渓谷は、緑が多く空気の濃い、深呼吸したくなる雰囲気です(11:25)。

Sさんが描かれた透明水彩画は、左側の写真の位置からほんのすこし先からの景色です。
昼食はイタリアンの店OTTOです。急な階段を登りシャッターが上がると

ほぼ同時の入店(11:32)です。イタリアンを堪能して、渓谷に戻ります。

 

しばらく進むと、弘法大師の幼い時の呼び名である稚児大師を安置した稚児大師御影堂があります。

南無不動明王の旗が立つお稲荷さんの右手の不動の瀧を見て、階段を登ると浄護摩受付の

納経所に着きました。

 

等々力不動尊本堂(拝殿)は江戸時代末期の建築で1952年に、山門は1968年に

それぞれ満願寺より移築したものだそうです。

満願寺よりこちらの方が落ち着く感じがしましたが、どうでしょうか?


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いよいよ、神秘的な地下霊場があるパワースポットの玉川大師に向います。
環八通りの等々力駅入り口からバスで瀬田(環八口)の予定が、バスが目前で出てしまったので、

次の野毛公園前まで歩くことになりました。

 

瀬田(環八口)でバスをお降り、玉川通りの陸橋を渡って左に折れて坂を下り、

右に折れて10分ほどで玉川大師に着きます。

 

玉川大師(玉眞院)
山号:寶泉山(ほうせんざん)、院号:玉真院、宗派:真言宗智山派、本尊:弘法大師、

創建:大正14年(1925年)、正式名:寶泉山玉眞院、別称:玉川大師。

 

今までの参拝の所と違って混み合っていますので、団体行動が取れないまま、

何の説明も受けずに記帳して、帽子を脱いで南無大師遍照金剛と書かれた入り口から、

深さ5m長さ100mの四国88か所、及び西国33か所霊場の大師さま観音様が鎮座されている

奥院へお参りです。


目が慣れていないせいもあり、真の暗闇に遭遇します。

人ひとりが通れる幅なので、前に進むしかないのですが、さて、どうしたものか、摩訶不思議な体験を

味わうことができます。そのうちに進み方がわかってきて、薄暗い中での仏像との対面になります。


体験談は予断を持たれないようにこの辺で止めにしますが、地下霊場では、自分の年齢(数え年)の

番号の仏様を拝むのだそうです。また、本殿のようなところで、数人が集まっていましたので近づくと、

何度も通っているらしいご婦人から涅槃の石仏と弘法大師の像等の説明を受けました。

彼女は銅鑼を何度か鳴らして、地上の長寿の銅鑼の響きがこれとは違って良いとのことで、

現世に戻って100円払って銅鑼をたたきました。


ところで、残念なことに数人は、犬の厄除け・お祓いもあり、かなり混雑していて遍路さながらの

お参り体験をされませんでした。
ここでの御利益には「ぼけ封じ」もあります。

ぼけ封じ観音菩薩さまは正面右手の境内にいらっしゃいました。


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次は趣を変えて、砧公園内の世田谷美術館へ向かいます。

18分ほど歩いて東名高速道路の高架下を抜けさらに7分で美術館に着きました。

 

世田谷美術館
1階展示室では、ピカソに鉄彫刻を教えたスペインの彫刻家フリオ・ゴンサレスが、鉄の板とか棒を

溶接で組み合わせて、空間も造形の中に組み込んだ初期から晩年までの作品約100点を鑑賞しました。
また、2階展示室では、東大寺本坊襖絵等を手掛けた日本画家・小泉淳作のデッサンと、

木口木版の緻密な技術で、大型版画を制作いている小林敬生の作品を、小コーナーでは、

北大路魯山人の器の作品を鑑賞しました。

 

予定より鑑賞時間が短くて済み、美術館で時間をつぶすよりはビールを飲みたいと、

店側の料理は17:30からですというのを30分以上前に着くからと頼み込み、成城学園前駅へ向かいます。

 

世田谷通りのこのバスは渋滞するとか、早く着きすぎても困るからとのことから、初参加のMさんの

「歩きましょう」の一言で、バスに乗ると言う人もなく、そのおかげなのか、

地元の女性の富士山が見えるわょ!で道路を右側に渡り、

夕暮れに浮かぶ富士山を正面に眺めながら歩くという、いろいろな幸運に恵まれた1日でした。

この界隈は東京40会会長のテリトリーであるとのことで、先頭に立って歩かれました。


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写真ではかすかですが、実際ははっきりと夕暮れに浮かぶ富士山を正面に見ながら

ビールの待ち遠しい成城学園前駅に向いました。(砧8-29で16:40頃の撮影)。

予定外の2.4km程を歩き、結局、万歩計は22,000歩となりました。この区間が一番遠かったなぁ!


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少し欲張り過ぎた感がありましたが、いろいろな体験をした充実した楽しい1日でした。

 

写真提供:宮野、中段
紀行文:中段

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