日 時:2015年4月2日(木)10時
集合場所:JR横浜線 淵野辺駅北口
天 候:晴
参加者数:32
案 内 人:山沢祥吾(36法) 近藤恒雄(34文) 稗田賢二(34商)
歩行距離:6.0 km
≪コース≫
淵野辺駅 ⇒ 桜美林学園 ⇒ 小山田尾根緑道 ⇒ 尾根緑道(戦車道)⇒ 淵野辺駅(解散)
桜美林学園
Ⅰ)桜美林学園見学
集合場所のJR横浜線 淵野辺駅北口からスクールバスで直行 約10分で到着。
長澤直臣教授(同志社法46年卒)のお出迎えを受け学園内を説明していただく。
長澤教授の説明風景
博物資料室では、浜田教授からビデオをまじえながら生き生きとした当時を思い起こさせる史実の状況のご説明を受ける。
母校と関係の深い内容など
浜田教授の説明風景
1.新島襄がよく口にした聖句「石ころさえも神もし用い給うなら」を聞き感動
創立者 清水安三は同志社神学部に進学。
2.創立者自作の歌碑
「大学の設立こそ少(わか)き日に新島襄に享(う)けし夢かも」の歌碑あり。
清水安三の銅像
3.ペスタロッチの精神にも共感
貧民、孤児 すべての子供に教育をモットーに修養施設を設立した人物
4.1917年日本人キリスト教宣教師第1号として中国に派遣、1921年中国北京に貞平民女子に発展して貞学園の創立、貧困の子供達のための学校設立。
5.終戦翌年、1946年学園設立と教育方針
アメリカ オハイオ州 オべリン大学で創立者 清水安三、郁子夫妻が留学、オべリンの教育思想 Learning and Labor として重なる「学而事人」学びて人に仕えるをモットーにしている。
桜美林学園初代園長清水郁子碑
6.昭和50年 名誉学位 神学博士号を授与される。
授与式で住谷悦治総長は新島精神が遂に東京まで進出するに至ったと清水安三氏を涙ながらに紹介した。
7.博士号授与の翌年、昭和51年「高校野球全国大会」で初出場、初優勝、延長で強豪PL学園にサヨナラ勝 劇的勝利をおさめ、全国TV、新聞をにぎわし一躍有名校に。
学校名はオべリン思想と学園に染井吉野桜が沢山植えてあり、語呂合わせで「桜美林」と命名される。(オウ=桜、ビ=美、リン=林)
幼稚園、小学、高校、大学、大学院と広大な土地に垣根が無く自由に校舎が立ち並び京都同志社大学の栄光館、そして中国の崇貞館と同名校舎も並ぶ11,000人の学びの園である。
教室も教壇がなく生徒と先生の目線を同じにするように工夫され、ふれ合いを生かされている。
国際化は前統で、益々生長の息吹を感じさせる学園である。
Ⅱ)昼食は学園食堂
崇貞館前にて
Ⅲ)長澤教授に見送られ第二の目的地小山田桜道へ
目的地は、JR横浜線 町田駅から八王子方面、2ツ目の駅 淵野辺駅近くの丘陵地帯に位置する町田市小山田尾根緑道の桜並木で数キロに渡っている。夜は夜桜でにぎわうところでも知られている。
戦後の電車道として桜道に沿って作られ、旧道と併設され、余裕ある巾広の安全な散策路である。
小山田桜緑道
この行程は、多くの小鳥、植物が生育し自然を楽しめるところである。桜の種類も大変多く植えられている。早生(4月初)、中手(~4月中)、奥手(4月末)があり、桜の名前も沢山で奥手は別にして早生、中手は実際咲きほこる桜を見ても区別は難しい。唯日本で一本になってしまった桜の種類もあり、努力で何本にもよみがえった桜の樹があったが、奥手では、まだ開花されていないあまり休息もせず、速足になってしまい時間があまり、バスの時間がありすぎるため、もと来た道を往復することになり、随分桜を見学出来ましたまた、スクールバスに便乗し淵野辺駅北口で全員 32名無事解散しました。
(文責 山澤)