“桜花爛漫の鶴ヶ城”
実施月日
平成25年4月21日(日)~22日(月)
集合場所
JR東京駅丸の内 中央郵便局前 8時
宿 泊 先
会津東山温泉「向瀧」
参加者 23名(うちご夫妻2組)
小雨降る中、観光バスは定刻に出発。首都高を渋滞もなく東北高速道に入り、順調に進んだ。途中、福島県に 入るや雪のため通行止めになったので、一般道に降りた。ベテラン運転手のお陰で、雪道を難なく走り再び高速道に入り、小一時間ほどの遅れで猪苗代湖畔に到 着。季節外れの雪は既に降りやんでいた。聞くところによると会津方面は数センチ以上の積雪、思わぬ雪景色の歓迎を受けることととなった。
“雪の会津路へようこそ”
長時間のバスの中から開放されて外に出ると、ひんやりとした心地よい空気で爽快な気分になった。さっそくビール館で、地ビールをいただく。ここのビ-ルは国際ビール大賞を毎年受賞しているとのこと。十分に昼食とともに堪能した。
食後、次の目的の場所である会津藩校日新館に向った。
藩校とはいえ、当時の家老田中玄宰をはじめ藩士たちが協力して建設にあたり、建設資金は呉服商を営む大商人が大方負担した。まさに官民による立派な施設である。会津藩が如何に教育(文武)の振興に力をいれていたかが伺われる。
次に向ったのは、市内中心部の七日町で、しばしの散策となった。大正浪漫溢れる街並みで、「八重の桜」のポスターや幟が立ち並んでいた。
次にここから2Km程離れた、鶴ヶ城の西口付近にある山本覚馬・八重の生誕地を訪れた。碑は車も入れない住宅地の空き地にポツンと建っていた。この碑は同志社が1989年に建立したものである。
ここで本日の行程を終了し、一路今夜宿泊の旅館をめざしてレッツゴー。
東山温泉・向瀧は、明治・大正・昭和と増改築を重ねて、山の斜面に沿った複雑な構造の建築物で国の有形文化財に指定されている。
宿の社長は、独特の営業方針で、「自然の中で静かに過ごしてもらう。」ということで、音の出るようなカラオケ、麻雀、部屋の冷蔵庫、エレベーター等の設備はなし。又「変えてはならぬものは、変えてはな
らぬ」の会津魂で古き物を大切にし、さらに「変えなければならないものは、変えねばならない」と常に生き残れる営業をしていることだ。社長の経営方針もまたすばらしい。若女将も綺麗な人だった。
“宿周辺を散策”
4月21日の若女将のツイッターでは、「おはようございます。会津は、ただいま雪でございます。びっくりなお天気になってしまいました…」と書かれています。到着後、源泉かけ流しの温泉に浸って一日の疲れを癒した後大広間で夕食。
“気分は会津藩士”
宴会に花が咲き、震度4の地震があったり、福本さんの新島八重の講話を聞くなど、時間を延長してまで盛り上がったが、明日の見学を楽しみに、各部屋に戻って寝床についた。
“女将はじめ、みなさんも一同に”
翌朝快晴!絶好の花見日和。冷気が漂う朝、記念撮影を済まし、宿よりほど近い武家屋敷を見学。ここは会津藩家老西郷頼母の屋敷で家老クラスの生活形態が判るように展示してあった。
いよいよ今回の旅行で最も期待する鶴ヶ城へと移動する。場内の桜花は満開、人出も多く、広い城内は大混雑で、天守閣までの階段は長い行列。
天守閣からの眺望は絶景。会津若松市が一望できた。
最後の見学場所である飯盛山へ向う。頂上までは長い階段の代わりにスロープコンベアで楽々登れた。頂上か らは、市内が一望できて彼方に鶴ヶ城が見える。白虎隊の碑の前に着くと、みやげ店の女店員さんが案内してくれた。聞けば勤務扱いのボランティアとか。白虎 隊士の碑の前で流暢な会津弁で説明を聞くと、涙を誘う… 合掌。
飯盛山を下ると、滝沢街道沿いに「滝沢本陣」があった。戊辰戦争のときの会津藩の本陣となり、藩主松平容保が白虎隊に出陣を命じ、隊士は勇躍出陣したところである。柱や壁の刀傷や銃痕が痛ましい。
飯盛山の入り口に位置するみやげ店の二階で昼食をとり、最後のおみやげ等を買い込んだ。店員さんの「また来てくなんしょ」の声を後に帰路に着いた。
“久し振りの修学旅行?”
最後に、今回の旅行は、幹事さんの用意周到な計画と、常に現地の情報をキャッチしていたお陰で、無事に楽しく過ごすことができました。ありがとうございます。
[文責] 宮野和佳
[写真提供] 鈴木良之・宮野和佳
今回の記念行事は数ヶ月の準備期間もあり、その間、多くの会員有志には企画段階から協力いただきました。 そして、主旨・目的が明確な記念事業でもあり、関心ある皆さんには、早くから申込みをいただいていました。グループとしての確かなまとまりが、楽しい旅行 会になったとものと思っています。また、複数のご夫妻参加を得たことからは、これからの行事のあり方を学ぶことになりました。ありがとうございました。 (T・O)