実施日:2011年10月22日(土)~23日(日)
参加者:奥田さん、稲垣さん、香月さん、鈴木さん、竹村さん、森さん、若園さん及び、寺戸
計8名
10月22日(土)8時15分に石神井公園駅に集合。
乗用車2台に分乗して出発。関越自動車道に入ります。
本日は碓氷峠周辺ハイクの予定ですが、朝から雨模様で、現地の天気予報も芳しくありません。
途中高坂SAにてトイレ休息、その時点で天候を見極めて行先変更を決定。富岡製糸所に向かいます。
日本で最初の絹糸の製糸所ですが、外壁の煉瓦が先ず目に留まりました。
博物館付ガイドは熱心な人で煉瓦製造技術を持たない当時の日本人が作り上げた煉瓦の説明が壁面の傍で具体的になされ、当時としては珍しい工場内の病院、学校等の説明、又工場発足当時の工員の募集の際の時代的背景等非常に興味深い話を1時間40分にわたり伺いました。
富岡製糸場
富岡製糸所より当初の目的地である上信越線横川駅へ。12時30分到着。
駅前の『峠の釜めし』で有名な『荻野屋』で昼食。
列車発車時の整然としたお辞儀が印象的な当時の駅弁売りの姿が昔の横川駅の風情と共に思い出されます。
横川駅から車で、本日のハイキングコース起点のめがね橋へ。
当初の計画のめがね橋上の軌道上に造られたハイキングコースを部分散策。
次に碓氷湖では一周してスポット毎の軽い散歩を楽しみました。
碓氷峠めがね橋上
碓氷湖から本日の宿泊先である磯部温泉「磯部館」へ。
15時40分着。
その夜は旅館の心のこもった夕食をいただき大満足。
仕上げはカラオケで。大変な盛り上がりようです。
磯部館夕食
翌日は安中市内に新島襄の足跡を辿ります。
10月23日(日)午前8時30分過ぎに旅館を出発。
磯部館前
午前9時少し前に『新島襄旧宅』着。
そこで安中市在住で45年法学部卒の真下さんと待ち合わせ。
真下さんは安中教会の教会員であり、安中市のボランティアガイドでもあります。
今回はこちらのお願いを快く受け入れていただき、安中市内を案内願うことになりました。
新島襄旧宅の中は資料が展示されており、特に建学の書又『真理似寒梅敢侵風雪開』の書からは同志社人を育成する新島襄の強い意志を改めて感じ取りました。
新島襄旧宅
新島襄旧宅
新島襄旧宅
その後は新島襄を財政的に支援し続けた湯浅治郎氏の湯浅邸へ。家業は醤油醸造業です。
新島襄の祖父と弟の墓のある妙光院。
現在このお墓は同志社大学に管理されているとの事。
又、新島襄が米国より帰国後1878年に安中を訪問した際、初めて安中の人々に演説をした龍昌寺。
龍昌寺・-新島襄が帰国後安中で演説
その後30名の人々が洗礼を受け後に安中教会を建てる原動力になっていったとの事。
車は安中市図書館に向かいます。
広場の隅に建てられた柏木義円の碑、安中藩遠足の碑を拝見。
小休止の後、徒歩で安中藩群代奉行所跡、武家屋敷等を訪問。
旧安中藩武家長屋
その後、安中教会(新島襄記念会堂)に向かいます。
この新島襄記念会堂は1919年に竣工されましたが、先の湯浅治郎、柏木義円が中心となり建設に至っています。
残念ながら現在は現在の建物は老朽化が進み、先の地震の影響もあって現在補修中です。
神父様のご厚意で補修中の教会の中を拝見することが出来ました。
大谷石の外壁と、節目一つない選び抜かれた木材の内装は当時の建築に関わった人々の強い拘りを感じさせます。
訪問当日は丁度安中教会バザールが開催されており、私共も教会に敬意を表し参加させていただきました。
安中教会
簡単な食事の後、真下さんより、教会の中庭にある碑文の説明を受けました。
湯浅治郎氏等の安中の人々と新島襄の関わりが良く理解出来ます。
安中教会を後に新島学園に向かいます。
印象的だったのは安中教会と同様、学園の建物の上に新島家の家紋が印されていた事で、現在世界に9基あるという『良心の碑』のその一つがこの学園に建立されておりました。
新島学園-学園の紋章は新島家の家紋
新島学園良心の碑
時刻は14時少し前。真下さんにご挨拶の後、各々車に分乗。東京に向かいます。
車中安中訪問の意義深さを語りながら、石神井公園駅着16時頃。ここで解散。
ご参加の皆さんお疲れ様でした。
次回は歩こう会本年度最後の行事で、11月19日(土)に深大寺を散策いたします。
興味のある方は気軽にご参加下さい。
文責 寺戸 (45文)
写真 奥田 (45経)、寺戸(45文)
歩こう会幹事