第178回 同志社東京歩こう会・報告
近代日本文明揺籃の跡地・碑を巡る
日 時: 2018年07月24日(火) 10時00分~12時30分
集合場所: 築地本願寺正門前(大江戸線・日比谷線築地駅)
天 候: 猛暑・35度
参加人員: 31名
案内人 : リーダー 高瀬(39年経)、 サポーター 駒田(43年工)
距離 : 約4km
〈コース〉
聖路加国際病院聖ルカ礼拝堂・トイスラー記念館⇒蘭学事始の地・慶應義塾発祥の地
⇒外国人居留地跡碑・カトリック築地教会聖堂⇒アメリカ公使館跡・電信操業の地
⇒勝鬨橋資料館⇒波除神社⇒築地市場内水神社・海軍発祥の地⇒日本字制定の地
⇒旧新橋停車場跡⇒新橋駅〈希望者はバスにて築地市場正門前⇒新橋駅〉
今年の夏は異常な猛暑が連日続き、前日も熱中症での死亡者ニュースが新聞テレビを賑わしていた。
当日も朝から35度超えの暑さで案内サポーターも2名体調不良で欠席する状況であったが、
31名の元気印のメンバーが集合、午後の総会予定もありコースを縮小変更して出発した。
このコース1858年欧米五か国と締結された修好通商条約により
政府が外国人の居留及び交易地域として特に定められ地域の一つ、
1869年築地鉄砲洲(現在の明石町一帯10㏊)に設けられた築地居留地跡である。
特に教会、病院、学校、外国公館が多く最盛期には300人以上が暮らしており、
結果的にはキリスト教を中心にした日本の近代医療、学問、文化が発祥し
政治経済文化の日本拠点となった地域である。
建物は移転や関東大震災で全て失われ、現在は跡地跡、記念碑が残るのみだが、
この狭い1キロ圏内に現存する有名大学高校が11校も創立されていた事に驚く。
スタート直後、浅野内匠頭邸跡、芥川龍之介生誕の地、〈女子学院発祥の地碑〉を見てから
聖路加国際病院構内に入ったが〈聖ルカ礼拝堂〉は緊急修理の為見学できず残念、
創業者宣教師の〈トイスラー記念館〉や〈立教学院発祥の地碑〉を巡る。
道路を挟んで〈蘭学事始め地碑〉、〈慶應義塾発祥の地碑〉が並んで立っている。
明石町には豊前国(大分県)中津藩の中屋敷があり、藩医で蘭学者の前野良沢は
ここでオランダ語医書「ターヘルアナトミア」の翻訳に取り組み〈解体新書」を出版した。
当時の苦心の様子は杉田玄白の「蘭学事始」に詳しく書かれている。
聖路加病院旧館と新館の間を道路沿いに歩くと「築地外国人居留地跡碑」
「居留地時のレンガ堀遺構・ガス街灯の柱」があり当時の状況説明がされている。
反対側の「カトリック築地教会聖堂」は1874年東京最初の教会として建てられ
キリスト教解禁後の拠点となった東京カテドラル(司教座聖堂)である。
その前には「暁星学園」発祥の地碑があり、明石町内を一回りするように〈雙葉学園〉、
〈東京中学院(関東学院)〉発祥の地碑、〈青山学院〉記念碑、さらに〈女子聖学院〉
〈明治学院〉発祥の地碑が続いており、この狭い区域が近代日本の文化教育の原点として
極めて大きな役割を果たした事が判る。
聖路加病院新館前には〈アメリカ公使館跡〉碑がある。
(開港により日本に駐在した初代アメリカ公使ハリスは1859年元麻布善福寺に公使館を開設、
875年この地に公使館を新築し始めて形容を整えた。1890年赤坂の現在地に移転した)。
すぐ横の墨田川に沿って〈勝鬨橋〉(昭和15年完成、昭和45年開閉中止)まで歩き、
勝鬨資料館で開設経緯や時代背景、開閉方法等ビデオで説明を受けた。
冷房の効いた館内で生き返った一時であった。
勝鬨橋資料館で猛暑から一時回復、築地市場海幸橋門に隣接する〈波除稲荷神社〉を詣でた後、
東京都卸売市場内にある築地魚河岸の守護神〈水神社〉、
明治初期海軍省があった〈海軍発祥の地・旗山碑〉を見て市場正門に到着。
ここで築地市場と新橋駅間の巡回バスに乗る組と、余力があり歩いて行く組に別れて
目的地新橋駅に向かうことにしたが、歩く組も〈旧新橋停車場跡〉を割愛し、
汐留から涼しい地下街に潜り新橋駅に向かい、バス組に少し遅れて総会会場に到着。
途中、この暑さの為一時的に体調を崩した人もいたが大事に至らずに済んだ事は幸いであった。
(高瀬記)
2017年度総会 & 懇親会
新橋・新橋亭新館4階に49名が参集し、宇野さんの司会で総会を開催。
駒田会長の挨拶の後議事に入り、活動報告(新入・退会会員の紹介を含む)、
会計報告(予算案を含む)、役員の選任及び2018年度活動計画が承認された。
木村ケイさんの乾杯音頭で懇親会に入り、新入会員の挨拶、新役員の挨拶を始め、
宇野さんの名司会で多くの方のスピーチで会場が大いに盛り上がり、
和気あいあいのうちにあっという間に時間が経過した。
藤田さんに会を締めて頂き、最後にカレッジソングを斉唱してお開きとした。
(吉川記)