実 施:2012年11月2日(金)~11月3日(土)
参加者:奥田、稲垣、小関、香月、金屋、岸本、
鈴木、竹尾、竹村、横山及び寺戸で
計11名 (男性7名、女性4名)
11月2日9時15分羽田空港出発カウンター前に集合。今回の行程は羽田空港から函館空港へ。ANA利 用。函館空港内で食事の後、空港前レンタカー事務所へ。分乗して新島襄の『出国の碑』に向かう。その後、元町界隈を散策の後再び車で函館山へ。夜景堪能の 後、宿舎湯元温泉『元湯啄木亭』へ。翌日はホテルから函館朝市、五稜郭を巡り、大沼公園へ。そこから函館空港に移動して空路羽田空港へといった内容です。
羽田空港発10時40分ANA# 853便は予定通り11時55分に函館空港に到着。当日の天気予報は曇り時々雨。最高気温13度/ 最低気温3度といったものでしたが、空港に降り立ってその寒さを実感。
直に空港ビル3階にあるレストランに移動。昼食の後、日本レンタカー空港前事務所に移動。手続きの後、3台に分乗して新島襄の『出国の碑』に向かいます。約30分で到着。静かな入り江に面した出国の碑は建物の蔭に毅然と立っておりました。
新島襄は元治元年3月(1864年)、快風丸に便乗し函館に到着。同6月アメリカ船に乗り込み上海に密航。慶応元年7月(1865年)上海から『ワイルド・ローバーにてボストンに到着。
この頃の時代背景は未だ幕末。同5月2日には水戸の天狗党の乱。同7月8日には新撰組による池田屋事件が起きています。当時の米国は南北戦争の最中。新島襄がボストンに付いた年の3カ月前にはリンカーンが暗殺されています。
参加者一同、何時の時点で新島襄にJoh という名前が付けられたのか不思議に思っておりましたが、碑の傍らにある説明書でアメリカに向かう船内との記事に納得(実際にはハーディ氏が名付けたという説もあります)。
車を市営駐車場に移動。元町界隈を各々散策する事となり、先ずは旧英国領事館へ。函館名物の坂道を辿りな がら旧北海道庁、奉行所跡(後に五稜郭に移転)、函館ハリストフ正協会(ロシアにより建てられたギリシャ正教)、カトリック元町教会、東本願寺函館分院 等々を訪問。奉行所跡から函館(当時は箱館)が当時の蝦夷支配の中心地であった事が理解できます。
16時に駐車場に集合、日没前の函館山に登頂、16時25分着。この函館山山頂は4月から10月15日の 間は17時から22時30分まで自家用車立入禁止。又11月10日頃以降は路面凍結等で入山禁止となります。今回の訪問は11月2日。丁度良いタイミング でした。山頂から日没前の函館市内とその夜景を楽しむべく頂上の建物に移動。寒風の為一か所に留まる事は大変でしたが、それでも夕暮れの景色を堪能いたし ました。
函館山を17時過ぎに出発、当日の宿泊先の湯元温泉元湯啄木亭に向かいます。17時30分前に到着。入浴 の後、一階レストランに集合。今回はビュッフェスタイルの夕食でしたが、宿のご厚意でテーブルを纏めていただき。北海道の味覚を堪能しました。以後如何に 盛り上がったかご想像いただけると思います。この旅館は団体客獲得に力を注いでいるようで、観光バスがひっきりなしに発着しています。
ただ、小規模のグループに対しても配慮が行き届いておりました。
旅館前で記念写真の後、函館朝市へ。各々自由に朝市を物色。中には朝食の後ではありましたが、更に朝市で 食事をする方もいらしたようです。1時間程度の買い物で次の目的地五稜郭へ。ナビ設定で多少の混乱はあったものの、10時20分無事到着。全員揃ったとこ ろで先ず全貌を眺めるべく五稜郭タワーに登りました。そこで驚いたのが五稜郭のタワーの上に歴史等関連資料が展示されており、その中に新島襄の出国時の写 真と函館との結びつきが掲載されておりました。その資料からも依然として判らないのが新島襄は何時出国の決意を固めたのかという事です。タワーを下りて五 稜郭へ。五稜郭の中心をなすのが箱館奉行所です。寛政11(1799)年に松前藩が統治していた東蝦夷地を直轄地にして、幕府が外交上の問題に直接関われ る体制と樹立。享和2(1802)年には蝦夷奉行(同年に箱館奉行と改称)が設置され、その翌年には箱館の港を見下ろせる場所(現在の元町公園)奉行所を 建てる。その奉行所が後年五稜郭に移転しています。この五稜郭は一時間で十分というわけにはいきませんでした。
多少の滞在時間オーバーで、次の目的地大沼公園へ。そこで昼食の後、大沼周辺の散策。沼越しに見える駒ヶ岳は濃霧の為見えませんでしたが、紅葉が見事です。
14時に駐車場に集合。函館飛行場へ向かいます。大沼公園より約1時間で到着。レンタカーを返却し、レンタカー事務所からマイクロバスで空港へ。買い物、チェックインの後16時45分発Air Do#46便
にて一路羽田空港へ。18時05分着。空港到着出口付近で解散。皆さんお疲れ様でした。事故も怪我も
無く、歩こう会本年度の最終行事を無事に終える事が出来ました。
来年度は、新島八重の故郷の会津に重点を置いて、今回と同様な企画を立てたいと考えております。
皆様のご参加をお待ちしております。
以上
文責 寺戸重光(45文学部卒)
写真 奥田展也(45経済学部卒)