平岡 燁さんの日本海洋画展に学ぶ
2017年8月24日(木)、恒例の日本海洋画展に出向きました。
折から猛暑のぶり返しもあり遅めの入館となりましたが、池袋東京芸術劇場5Fギャラリ-会場は
早々に年一回とはいえ、お馴染みの面々に我物顔で占拠されている有様なのです。
お目当ての作品を前に、半円形に取り囲み論評に花咲くグル-プ、また展示ブ-スを神妙な顔つきで
パンフ片手に静かに移動するAさんBさん達、さらにロビ-に目をやれば、
一通り鑑賞後と思われる仲間の談笑風景が目に入ります。
話題はこの後の暑気払いかも…。
写真ですよ~。と声をかければ何処からとなく群がったメンバ-は思ったより多く、
集合写真の体裁を整えるため、座ったり、中腰、又は上半身斜めポ-ズの団体さん。
加えて半数近くが後期高齢者という不可解なグル-プ。実はこれが40会なのです。
さて、今回出品の題名は「波音」。作品の中心となっている巨石は三浦半島西海岸、
葉山近くの秋谷海岸にたつ立石とよばれる自然石であり、
その景観美は古くから知られているとのことでした。
この立石をランドマ-クとして、相模湾越しに富士山を望むロケ-ションは、
写真家垂涎の的とも言われているそうです。
作品では黒い岩肌の巨石(実物は高さ12m周囲30m)と白い波、それに赤い夕焼け、
何も足さないシンプルな構図、それに反し大胆な色使いは目を引き付けるものがあります。
巨石との対比で白波もかなりの大波と思われ、「波音」も心に響くことでしょう。
かねてより画展の世界では、当作品の様に日本画として分類されている出品数が
少ないことに疑問を感じていました。
(今回の海洋画展での日本画は出品44点中3点)日頃の疑問を解き明かすために
ラッキ-だったのは、後ほどの暑気払会場では、作者の平岡さんと隣席となり、
日本画に関するレクチャ-を受ける機会を得たことでした。
浅学菲才の上絵心の乏しい小生には、日本画に対して大変な思い違いをしていたようです。
小学生のころ実習で屋外での写生や室内で静物を描いた思い出―。
そう!サクラクレパスのチュ-ブを絞って筆を舐めなめ…。
そのような作品も日本画の原点と思っていたのです。
Q.「下絵は描くのですか」
A.「2日間程度ですね」
Q.「海岸で何日間も大変ですね」
A.「ええ~!日本画は外では描けませんよ。夏には具材は1日しか持ちません。
くさってしまいますから…。」
Q.「?…必要な分だけチュ-ブから出すとか―.」
Q.「ん……。」どうも話がかみ合わない。
A.「日本画では画材として、染料・岩絵の具、・胡粉・土・膠などを水で溶かします。
膠には動物の骨・皮・ゼラチン等が入っていますよ。」云々―。
Q.「エッ、目から鱗とはこのことでしょうか。緑内障ですが…。」
懇親会での席上でもあり、難題に関する質疑応答等延々と続けるのは相応しくないとの思いは共通で、
程良いタイミングで周りの談笑の輪に入ることになったのは言うまでもありません。
しかしながら「聞くは一度の恥、聞かぬは一生の恥」の流れに沿い、
後は自助努力で検索しようと思いついた次第です。
専門的分野であっても、一つでも多く常識を身に付ければ、
安心して後期高齢者入りを果たせるというものです。
日本画とそれ以外を分ける重要な要素となるのは、前述の「画材」ということになりますが、
近年では日本画においても油彩画(西洋画は死語となっている?)の影響もあり、
その境界は明確に定まっていないとも言われているそうです。
日本画の確固たる位置づけの為にも、平岡さんには末永く現役で指導していただく他はありませんね。
ここで話を元に戻し、作品にある風光明媚な秋谷海岸を、是非一度は訪れてみたい思いです。
(40会のハイキングコ-スも一案)相模湾越しの富士山は勿論ですが、
何といっても「波音」を聞かないままでは。
(T.O)
お決まりの展示会場入り口で集合写真を撮影後、暑気払い会場に移動。
今回は日本酒もたしなみたいとの希望が寄せられたことから「楽蔵 池袋店」で参加者は25名です。
初めに佐上会長の挨拶、中山さんの乾杯の音頭で懇親会がはじまりました。
気心の知れた仲間達とあって、いつもの和やかな雰囲気で歓談の輪が広がりました。
横山さんからはラクビー部の今年の展望等を頂きました。
最後に鈴木さんの発声で同志社チアーを行い解散となりました。
写真提供:宮野、鈴木(良)