熊谷桜堤でお花見
4月3日(水)、桜といえば染井吉野、その華やかなトンネルをくぐることも、見おろす事も出来る
500本もの並木と菜の花の競演に魅せられた東京40会メンバー10名が、
10時30分に熊谷駅に集うはずでした。
ところが横須賀線品川駅での人身事故のため、横須賀線は勿論のこと
上野東京ラインを経由する高崎・東北線、常磐線に、
なんと総武線、成田線、京浜東北線までにも遅れが出たため、
鈴木会長は途中参加を余儀なくされてしまいましたが、9名が15分ほどの遅れで、
昔の熊谷堤の一部が200mほど残る万平公園へ向かいました。
ここには、旧熊谷堤の桜並木の盛衰と復旧を記した熊谷堤裁桜碑に、熊谷の発展に数々の偉業を成した
竹井澹如(たけい たんじょ)(1839~1912年)の石碑など三つの石碑があります。
万平は澹如の幼名ですが、そのせいか、子供達の遊具が揃った公園です。
万平公園から300m程で桜堤の南端近くの土手の上に着きました。
近頃は温暖化の影響か昔に比べて気温の変動が激しく、この日の熊谷の最低気温は2℃、
花冷えの熊谷堤に着いた時の気温が10℃程で、
空っ風がとても強く土手の上を歩き続ける気にはなりません。
ここの堤は良くしたもので、土手が絶好の風よけとなり、桜のトンネル内は風も穏やかです。
このあたりの桜は未だ3分から5分咲きですが、屋台のある人の集まっているところは、
7分咲き以上になっています。
中山さんの提案で枝振りの良い場所にレジャーシートを広げることにしました。
ここからは会長も合流です。
どんどん花開いていく桜を見ながら、酒を酌み交わすのも乙なものです。
堤からの眺めは思いの外広大で、桜の花は地面近くまで垂れ下がり、自然を十分に満喫でき、
大声で騒ぐ酔っぱらいもいなくて、昔ながらののどかな花見風景がそこかしこに見られました。
ここから少し足を伸ばして、星渓園を訪れました。
ここは星川の水源になっていた「玉の池」を中心に作られた回遊式庭園で、
竹井澹如によって江戸時代末期から明治時代にかけて整備されました。
静寂にして玉のような丸みが感じられる園を散策していると、
心が洗われストレスが消えてゆく思いがしました。
ちなみに、今回の行程はおよそ12,000歩です。
最後に蛇足ですが、牛久のある神社の「てんぐ巣病」に罹った介護を待つ桜をお見せします。
てんぐ巣病はかびの一種が原因の伝染病で小枝がほうき状に群生します。
染井吉野はこの病気にとても罹りやすく、
罹った枝を放置しておくと樹全体に広がり枯れてしまいます。
桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿のことわざがありますが、
悪い枝は適期に正しい方法で剪定することが必要です。
この病に罹っている桜がやたらと目に付くので紹介しました。
熊谷堤の桜はとても良く管理されているなと思いました。
文:中段
写真:鈴木、中段