第182回 新島七五三太の散歩道 & 忘年会
日時 :2018年12月13日(木)午前10時~11時50分
集合場所 :地下鉄九段下4番出口
天候 :くもり
参加人数 :38名
案内人 :支倉清(S48法)
サポーター:郷農恭子(S38文) 駒田隆之(S43工) 坂井光子(S47女大)
道のり :約4㎞
【コース】昭和館→蕃書調所跡→大隈重信邸跡→清水門→平川門(裏御門)
→一ツ橋と神田川→東大・一橋大・東京外大の跡→新島七五三太生誕之地石碑(学士会館)
→錦三・七五三太公園(写真)→護持院が原跡→学習院大学発祥の地→太田姫稲荷
→法政大学発祥の地→明治大学
同志社の校祖、新島先生が21年間過ごした町を散策しました。
蕃書調所は、開国後大急ぎで西洋事情を研究した幕府の機関です。
全国から蘭学者・洋学者が集められました。七五三太少年13歳のときのことです。
七五三太の自宅から徒歩15分のところにあります。
大隈重信邸跡は、現在千代田区役所になっています。
ここでトイレ休憩。お濠に沿って竹橋を経由して平川門へ。
平川門は、江戸時代には裏御門と呼ばれました。表御門(大手門)に対する呼称です。
表御門は正門ですから、お客様(朝廷・外様大名)が通ります。
裏御門は、いわばお勝手口です。身内(将軍家家族、御三家、御三卿、親藩、譜代大名、直参)と
御用達商人、奥女中などが通ります。
新島七五三太の自宅から400㍍の距離です。
一ツ橋は、神田川にかかる橋です。
一ツ橋御門内に一橋家ならびに江戸城本丸・二の丸などがあり、
御門外に新島の住む板倉家上屋敷があります。
新島襄生誕の石碑を左に見て約200メートルのところに「錦三・七五三太公園」があります。
ここで記念撮影。
新島の自宅北側と西側に広大な空き地(火除け地)が広がっていました。
西欧列強から開国を迫られた幕府は、西洋事情の研究と外国語教育をさらに充実させるために、
蕃書調所を板倉家上屋敷(新島自宅)の隣りに移転させ、
開成所(のちの開成校・東京大学)と改称しました。
七五三太が19歳の時のことです。
新島襄生誕の石碑から西に400メートルほど行ったところに学習院発祥地の石碑があります。
学習院は、国立(宮内庁管轄)の小学校として発足しました。
男子部と女子部がありました。皇室と華族のための学校です。
学習院跡から駿河台へと坂道を登りました。
駿河台は、新島が脱国する直前に数学や航海術を学んでいたところです。
新島の自宅から徒歩10分の距離です。
駿河台は、その名の通り駿河(静岡)の家臣団(将軍家直参の旗本衆)が居住したところですから、
戊辰戦争に破れ、江戸城を明け渡した後、家臣団は散り散りになりました。
そのあとに、中央大学、明治大学、日本大学、法政大学などの前身(いずれも法律学校)が
設立されました。
曇天の肌寒い中でしたが、忘年会開始10分前に目的地(明治大学)に無事到着しました。
(支倉 記)
【忘年会】
場 所 :明治大学アカデミー・コモンの1階にある「カフェ・パンセ」
時 間 :12時~14時30分
参加者 :44名
近代的な建物の中の解放感ある洒落た店での開催。
定刻通りに最年長の藤田さんの乾杯の音頭によりスタートし、飲み放題のビール、ワイン、日本酒等と、
ブッヘスタイルの美味しい料理で会場は一気に盛り上がり、お互いの話に花が咲きました。
その後、参加者のほぼ全員がマイクを持ち、近況報告あり、自慢ののど披露ありで、
今年一年を締めくくる楽しい時間を過ごしました。
最後に木村ケイさんの締めの挨拶で、名残惜しくお開きとしました。