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本年最後の「同志社ファン・レポート」が嬉しいニュースで終われるのは幸いです。
母校のラグビー部が関西で優勝し、慶應義塾との試合に勝利しました。


 私は小雨の中、沢山の写真を撮ってきました。添付しましたのでご覧下さい。
なお、速報でfacebookにアップしましたら、330名以上の方から「いいね」をいただきました。


 さて、読み物は、ラグビーに関連して、「同志社のDNA」から抜粋した
「ラグビー部の伝統の中にある同志社DNA」です。

一年の最後に、感動されることでしょう。

全文をお読みいただきたく添付しましたので、ぜひ、お読み下さい。

 

では、良い新年をお迎え下さい。
ラグビー同志社X慶応.jpg                       

               「同志社のDNA」

                                2005年11月9日

                  同志社大学キャリアセンター所長 神谷 雄績氏


         抜粋「ラグビー部の伝統の中にある同志社DNA」

(前略)
 わたしがラグビーに反感を持っていたことは先ほど言いました。しかし恥ずかしながら、

それから五年後には逆にラグビーの虜になっていましてね。そしてラグビーを通して、

同志社の体内に流れる伝統というものを、今度は学生から教えてもらうことになるのです。

 先ほど言いましたように、わたしは学生部に長く関わりましたので、上司としての

学生部長が全部で四人おられます。そのお一人が岡仁詩という、同志社ラグビーの

象徴ともいうべき先生でした。偶然、今日、朝の講演者の一人がその岡先生でした。

不思議なご縁です。

 岡先生の学生部長時代は、特に学寮問題が大変でした。学生に明徳館や有終館などの
学内の建物が封鎖され、授業が満足にできないようなことが何度もありました。それで
わたしは、そういうことに大学としてどう対処するか、方針を相談するために学生部長の

岡先生に会いに行くわけです。先生は大体、岩倉のグランドにおられるんですね。

今の同志社高校のグランドで、当時はあそこが大学のラグビーグランドだった。

極めて厳しい決断を迫られるような相談をするわけですが、先生は「そうですねえ」なんて

ラグビーの練習から目をそらさないで仰るわけです。

 林敏之君とか、この春まで日本代表の監督であった萩本君とか、大八木敦君とか、

元日本代表監督で今は神戸製鋼ラグビー部のゼネラルマネージャーの平尾誠二君とか、

サントリー監督だった土田君とか、錚々たるメンバーがいました。

ですから時々は、「先生、あれが今度入ってきた平尾君ですか」とかという話になるわけですね。

あるいは、「なんでラグビーはボールを前に放ってはいけないんですか」とかお聞きするわけです。

そうすると先生が極めて明快に教えてくださる。

 この岡先生という人は、私は案外、新島先生とどこかで重なるようなところを感じる時が

あるのですが、どちらかと言うと、明確に指示を出す指導者ではなく、あれもあるなあ、

これもあるなあ、と考えられる。理想とか夢をいっぱい持っておられる。その理想のために、

現実の決断に迷いがあることもある。新島先生の軌跡を辿ると、ああ先生はここでは

随分悩まれたんじゃないかとか、決断を迷われたのではないかとかと、考えさせられることが

いくつもあります。岡先生もそんなところがあって、そこが、人間として深い味わいがあるんですね。

要するに、根っからの教育者なんです。

 ところが、ラグビーの話は実に明快で、そして夢があって、それ以上に自由な、

「てき儻不羈な選手を圧束しない」チームを目指しておられましたね。それで先生に

教えられることが多く、いっぺんにラグビーが好きになりました。ということで、

それから国立競技場まで応援に行くことが毎年の恒例になりました。

 で、大学選手権三連覇のかかった決勝戦です。三連覇というのは同志社大学がなしとげた

前人未到の大記録です。いまだに破られていない。それがかかった試合で、相手は関東を

制した慶應大学です。わたしは例によって、超満員の国立競技場で観戦していました。

 大方の予想通り、すでに二年連続日本一の「無敵同志社」が平尾君の活躍で前半をリード。

まあ、負けるはずがないと、安心しきっていました。ところが後半になるガラッと戦況が逆転します。

どうしたことか、スクラムが慶應に圧倒されるようになって、マイボールさえも相手に取られてしまう

ありさまで、こちらは防戦一方です。そしてついに逆転トライを奪われることになった。

 えらいことです。しかしこの「トライ」は幸い、「スローフォワード」と判定されて点には

ならなかった。しかし依然としてスクラムは押しまくられるわけです。

同志社ファンは悲鳴の連続で、わたしも正直なところ、逆転されるのは時間の問題だ

と思いましたね。ところが、そこで奇跡のようなことが起こったのです。

 スクラムというのは、ラグビーに関心のない方はご存知ないかもしれませんが、

双方八人どうしの選手が固まりになって押し合って、中央に投げ入れたボールを奪い合うのですが、

八人の結束と、特に最前列の三人の強さや技術が重要になる。一番と三番をプロップ。

真中の二番をフッカーと言います。プロップは文字通り「大黒柱」「支柱」です。

味方の一番と相手の三番、味方の三番と相手の一番が肩を組んで押し合う形になるのですが、

特にどのチームも三番に最強の選手を持ってくる。この時の慶應の三番は極めて強力で、

こちらの一番が押し負ける結果、全体が押されてボールをとられてしまうという形勢です。

同志社の一番は四年生の馬場君、二番は二年生の森川君でした。

 同志社ゴールライン目前のスクラム、同志社ファンの悲鳴と慶應ファンの歓声が

入り乱れる中で突然、二年生の森川君が四年生の馬場君に向って、「馬場かわれ」と言ったんです。

二年生が四年生に向って絶体絶命の場でそんなことが言えるというのは、同志社以外の大学、

特に上下の序列を重んじる体育会では考えられないことであります。

大変な出来事です。おまけに呼び捨てです。

 なんで呼び捨てかと選手に尋ねたことがあります。そうすると、いったん試合が始まると

十五人の選手は同等であるというのが、本学ラグビー部の伝統らしいですね。「馬場さん」

と言うように「さん」をいちいちつけていたら状況に即応できないからだとも言っていましたね。

要するに、試合が始まれば、選手はみな同格であるという考えです。

これも実に、新島先生のDNAですな。他大学では試合中でも「さん」づけで声をかけていますから、

やはりこういう考えは独特なんでしょうね。本学ラグビー部の伝統と言えば、

風呂に入るのも練習が終わった者から入りますから、結果として一年生から入ることが多い。

キャプテンを選ぶのも選手の選挙です。どれも、大学の体育会としては特異です。

  ■ 新島先生が残された種

 ここでわたしが連想するのは、命がけで日本を脱出した新島先生が最初に面食らったであろう

アメリカの船中での人間関係です。先生は、日本の国を強くしたい、そのためには西洋の

進んだ科学を学びたいという一心で、函館から日本を脱出するのですが、船の中の人間関係には

特に驚いたのではないかと、わたしは想像します。

 たとえば日本では、特に新島先生は侍でしたから、誰かほかの人を呼ぶ時は、「殿」とか

「御主」とか「貴殿」とか「あなた様」とか、「お前」とか「おい」もあったかもしれない。

要するに身分とか上下のありようによって、つまり自分と相手の関係によって

いろいろ呼び方を変えただろうと思うんです。日本では、いわんや封建社会では

人間関係は縦関係ですよね。ところがアメリカの船の中では、仕事中、船長は「キャプテン」

と呼ばれるでしょうけれど、仕事を離れると、ほとんど「ユー」でしょうね。年上であろうと、

目上であろうと皆、「ユー」で、平等です。先生はびっくりしたでしょうね、おそらく。

先生は、彼らの進んだ文化はこの人間関係を養分にして生みだされるのではないか

と思われたんじゃないか。これが私の仮説です。

 函館からベルリン号に乗船し、上海でワイルド・ローヴァーに乗り換え、ボストンに着くまで

一年かかっている。その間には嵐もあっただろうし、危険な時もあったでしょう。

昔はレーダーなんてありませんから、命がけの航海で、特に「悪魔の海」と言われた

喜望峰は最大の難所です。その中で、「ユー」と呼び合う関係が危機を救ったことが
何度となくあったのではないかと思うわけです。

 そしてそれは、西欧の進んだ社会を生み出す力が、一人ひとりが創造的に仕事に

取り組むことを許す人間関係を養分にしているのではないかと、先生は思われたのではないだろうか。

そして船の上での人間関係がキリスト教からきていることを知って、先生はキリスト教に

傾斜していったんじゃないか。「同志社大学設立の旨意」に「一国を維持するは

決して二、三英雄の力に非ず。実に一国を組織する教育あり、智識あり、品行ある

人民の力に拠らざる可からず」とありますが、その信念の核の芽生えみたいなものは、

もうこの船の上で生れかけていたのではないか、というのが私の勝手な想像です。

 そしてキリスト教です。初めは、日本を救うために、進んだ西欧の文化を作っている

科学技術を学びたいと思って日本を脱出した。ところが、どうもその根幹にキリスト教
という原理があるのではないかと、アメリカに上陸してからではなく、すでに船の上で、

何となく感づかれたのではないか。だから武士の魂と言われる刀を売り払って、

漢訳聖書を買ったりされたんじゃないか。新島研究の先生方には笑われるかもしれないけれど、

わたしはそう思っているんです。

 そうしますと、ラグビー部の森川君が上級生の馬場君に、あの土壇場の中で「馬場かわれ」

と言えたことは、新島先生が船の上で体験したことと重なるんです、少なくともわたしの中では。

新島先生が残された種子を岡先生がラグビー部に撒き、森川君が実らせた、そんなふうに思える。

 その森川君の機転のおかげで同志社は僅差を守りきり、三年連続日本一に輝くことになったのですが、

わたしは数日後、森川君にその日の出来事について聞いてみました。
わたしが「あれは試合前から考えていたことなの?」と聞くと、「まさか」と森川君は答えました。

「夢中で、ああなってしまったんです」と言うんですね。

「高校時代にもそんな体験はあったの?」「あるわけないでしょう。そんなこと言うと、

上級生に半殺しにされますよ」。

「だったらあれは、同志社だからやれたということ?」「よう分りませんけど、練習中でも、

下級生のぼくでも、びしびし意見が言えますから、試合でも自然とああなったんだと思います」

と彼は言うんです。「半殺し」というのは、冗談だと思いますが、彼の出身高校だけではなくて

全国の大学でも、体育会というのは大体において上下関係とか、決められたことに対して、

極めて厳しいことは事実です。ですから、彼の柔軟性は同志社の中で目をさました

と言って間違いはないと思います。試合翌日のスポーツ新聞も、「同志社でしか起りえないこと」

と述べていましたね。

   ■同志社のいい遺伝子を

 最初にお話しした元学長との話も、ラグビー部に起こった出来事も、わたしは同志社の体内に

確実に流れているDNAだろうと思うのです。ここで誤解のないように言っておきますが、

「自由」というのは、個人が「生まれながらに持っている」というようなものではないということです。

個人の自由は、社会や共同体からそれを保障されることが不可欠だと思うのです。

ということは自由を獲得するためには、それと引き換えに社会共同体の一員としての

義務と責任を引き受けることが欠かせません。そういう関係的な概念なのだと思います。

ルソーなどは、子どもは「完全な人間」ではない、だから教育が必要なんだって言っていますね。

 わたしは元学長に抵抗したけれども、職員としての任務を懸命に果たした。その結果、

同志社に迎え入れられた。またラグビー部の森川君も同志社の勝利のために懸命にがんばった。

だからチームメートからその自由の行使が認められた。そういうことだろうと思うのです。

「勝手気まま」と「自由」とは同じではない。

 新島先生のすごいところは、明治新政府の強力な誘いを断って、田中不二麿に「キミはヤソの奴隷だ」

と嫌みを言われても、その田中不二麿から英学校の設立に協力してもらえたように、先生はある意味では

頑固な自由人でしたから、他人と表面的な同化はしないことも多かった人ですけれど、

それでもそういう一度対立した他者といい関係を保っています。そこがすごいところです。

私はそれは、先生が日本という国をいい国にしたいと一途に思い、そのために努力を

惜しまないことが相手に伝わって、相手に認められたからだと思います。

 たしかに同志社には、他の大学より自由があふれていますけれども、

それは、やりっぱなしの自由ではない。

自己責任というものも大いに要求しているのだということを理解してもらいたいと思います。

 ちょっと前に、有名な大企業にいろいろな問題が生じ、その中で生き残れる可能性のある

部門の社長に、非常に若い人物が抜擢されました。これが本学の卒業生でした。

一年前も、日本有数の食品会社に不祥事がおきました。その後に社長に就任したのも、

本学出身者でした。何年か前、これも日本を代表する百貨店が総会屋との黒い関係から

経営陣の総退陣騒動があり、そのあとに就任した社長がこれも本学出身者でした。

組織というものは、何かスキャンダラスなことが内部で起きると、それを修復するために清潔な人物、

あるいは良心的な人物を待望するという性質があります。

どうも同志社の卒業生は人を押しのけて進むような強引さには欠けるけれども、

清廉潔白な人が多いと一般的に言われます。私が企業回りをしていても、そういう評価を聞きます。

清潔な、あるいは良心的な人物が求められる時には、本学の出身者が抜擢されるというのも、

何だか同志社のDNAかなという気もしますね。

 今、世界は自由主義経済の時代ですが、内実は「拝金主義」が横行しています。

そこには倫理の大いなる欠如が見られます。

そのことは人類の未来に暗い陰を落とすことになりかねません。

同志社で学ぶからには、倫理の大切さも是非、身につけていただきたいと念願しています。

それもまた、同志社のDNAですから。

 みなさんも、同志社の空気をたっぷりとすって、いい遺伝子を受け取っていただきたいと思います。

        二〇〇五年十一月九日 同志社スピリット・ウィーク「講演」記録より

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              同┃志┃社┃フ┃ァ┃ン┃レ┃ポ┃ー┃ト┃
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                      №76 2015/12/15 発行
                  発行:「同志社ファンを増やす会」
                 多田直彦:hgf02421@doshisha-u.net

・・・・・・・<「同志社ファンを増やす会」モットー>・・・・・・・
                   新島襄と同志社をもっと知ろう
                   学べば、同志社の良さが見え,
              母校に誇りと自信が持て,フアンになる。
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   「同志社ファンを増やす会」本部
 多田 直彦 hgf02421@doshisha-u.net

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