第185回 山谷掘公園~吉原遊郭跡を巡る
実施日:平成31年3月26日(火)
集合場所:東武線浅草駅 三角広場
案内人:成瀬(43商)
サポーター 郷農(38文)、宇野(53商)、高瀬(39経)
天候:曇り後晴れ
参加者:27名
コース:浅草・三角広場 → 墨田公園 → 今戸神社 → 待乳山聖天 → 山谷掘公園
→ 吉原大門 → 吉原神社 → 吉原弁財天 → 鷲神社 → 一葉館 → 浄閑寺 → 解散
江戸時代三大遊郭の一つであった吉原遊郭跡と遊郭に通う猪牙船の水路であった山谷掘り、
そして吉原遊郭の近く・下谷龍泉寺町に一時暮らしていた樋口一葉・・・
江戸時代の華やかな吉原遊郭と花魁・明治の女流作家樋口一葉と
代表作である「たけくらべ」に思いを馳せ、
花曇りの中いつも通りの軽快な足取りとお喋りで出発
山谷掘公園へ行く前に今戸神社・待乳山聖天に立ち寄ってみた。
今戸神社
新撰組 沖田総司 肺結核により24歳の若さでこの地にて世を去った。
縁結びの社として多くの老若男女が良縁を願って参拝する。
志望校との縁が出来るよう受験生の願い札も多く見られた。
待乳山聖天
待乳山聖天のお供えは大根 お下がりの大根は自由に持ち帰りが出来るが、
これから一日中持ち歩くのが大変!今回は断念
ご近所の方は大根買わなくても良いかも?
山谷堀は吉原遊郭の廃止後、昭和50年~53年にかけて埋め立てられ、
公園として整備され都民憩いの場となっている。
我々が訪れた時も整備工事が行われており、史跡案内板等も立てられ
山谷堀吉原遊郭の歴史が細かく紹介されていた。
両側の桜も7分咲き、満開の木も数本あり、
東京スカイツリーをバックに絵葉書の様な景観を堪能した。
山谷掘今と昔
現在の山谷掘
山谷堀八つ目の橋 地方橋にて二手に分かれて昼食にした
(この辺りには30人が一度に食事できる所がない)
昼食後、吉原大門近くに集合
吉原遊郭跡の街を抜け吉原神社・吉原弁財天そして鷲神社へと歩を進める。
「見返り柳」 交差点の角に立っているごく普通の柳の木
夢見心地の一夜を過ごした遊客が名残惜しそうに遊郭の方を振り返ったという場所であった。
現在の柳は3代目?4代目とか・・・
吉原大門
昼間は人通りも少なく、かっては盛況を極めた遊郭の面影は薄いが、
ソープランドと名を変えた120軒の遊興施設があり夜はそれなりに華やかな街に変身するのだろうか?
開運・財運・芸術運の神として遊女の厚い信仰を集めていたという吉原神社と
関東大震災の際、逃げ遅れた遊女達が身を投じた池があった吉原弁財天
関東大震災で亡くなった人の供養塔があり震災当時の悲惨な様子が撮られている新聞も掲示されていた。
鷲神社と「なでおかめ」
酉の市起源発祥の地といわれ11月の酉の市には商売繁盛を願う熊手を求めて沢山の人が参拝する
樋口一葉の「たけくらべ」にも書かれておりこの日には吉原の遊女達も外出を許される
境内にも一葉を紹介する石碑が建てられている
又、本堂入り口には「なでおかめ」が鎮座しており、そのご利益は
「おでこをなでれば賢くなり目をなでれば先見の明が効き鼻をなでれば金運がつく
向かって右の頬をなでれば恋愛成就左の頬をなでれば健康に口をなでれば災いを防ぎ
顎(あご)から時計回りになでれば物事が丸く収まる」と云われている。
さすが鷲神社鼻の部分が一番黒く光っていた。
皆、思い思いの部分を撫で参拝!一葉記念館へ向かう
一葉記念館と一葉公園
一葉は少女時代から読書を好み和歌を習う等利発な子供であったが、
父の事業の失敗・死亡によって苦しい生活を余儀なくされ、吉原遊郭近くの下谷龍泉寺町に移り住み、
荒物と駄菓子を売る雑貨店を営んでいた。
この頃の生活体験が後の代表作となる小説「たけくらべ」の題材となっており、
当時の吉原の様子が描かれている。
その後本郷に引っ越し明治26年、24歳で肺結核で亡くなる間際の1年2か月の期間に
日本の近代文学史に残る多くの作品を残している。
浄閑寺と投込み寺の由来説明碑
新吉原総霊塔と台座の下に供養されてる骨壺
花又花酔の句「生まれては苦界 死しては浄閑寺」
厳しい遊女の生き様を垣間見るようで印象的な句であるが
反対に遊女としての人生を謳歌した女性も少なからず居たと思いたい。
樋口一葉・「たけくらべ」と吉原との関わり・山谷堀と吉原遊郭・浄閑寺
歴史の足跡を訪ねて約5Km気持ち良く有意義な散策を楽しんで
メトロ日比谷線組と都電荒川線組に分かれて散会
(記成瀬)
≪後記≫
遊郭跡の街を散策中、誰か行方不明者が出ないか心配であったが
その気無し・体力無し・お店から誘い無し}で全員無事帰宅の途に就きました。
又、この記事作成中に新紙幣発行の報道があり現行の五千円札の肖像が樋口一葉である事を
再認識させられ(一葉記念館にもその肖像画が展示されていたが忘れてる)
一葉との因縁が偶然過ぎて、「たけくらべ」が更に身近に感じられ現代語訳版を読んでみた。
ちなみに2024年発行予定の新五千円札の肖像は津田梅子で女性像が踏襲された。
≪附録≫
散会後「都電荒川線組」10名 昭和レトロ調のアーケードを抜けて荒川線の駅に着いたところ
「まだ帰りたくない人若干名」が開店前の店を丁重にお願いしてOPEN “乾杯”
渇いた喉を潤し四方山話に花を咲かせる中、オーナーに声をかけたところ
立教大学・応援団卒とのことで「徳光和夫の路線バスの旅」・「まいうーの石塚英彦」等
TV番組取材の話で大盛り上がり、最後は立教・同志社エールの交換で店を後にした。