第162回 鶴見・総持寺
日 時: 2017年2月23日(木)午前10時
集合場所: JR京浜東北線・鶴見駅西口改札前
天 候: 雨のち晴れ
参加人数: 16名
案 内 人 : リーダー 宇野(53商)
サポーター 郷農(38文)高瀬(39経)小林(43法)
歩行距離: 約6㎞
《コース》
鶴見駅西口⇒総持寺⇒鶴見駅東口(昼食)⇒鶴見川⇒JR鶴見線国道駅⇒
旧東海道・生麦魚河岸通り⇒京急・花月園前駅
天気予報では荒れ模様ということで、少なめの参加でした。
総持寺までの距離は短いものの、風が強く傘をさすのに難儀するような状態でした。
総持寺では、若い修行僧(雲水)の案内で堂内を巡る。永平寺と並ぶ曹洞宗大本山であるが、
明治に火事での焼失を機に、能登から当地により一層の布教を目指して移転した。
歴史や日々の寺での生活、様々な逸話を大変興味深く拝聴した。
堂内見学を終えて外へ出た時には、雨もあがり風も収まっていた。
石原裕次郎の墓にも立ち寄り、鶴見駅に戻り、昼食休憩。
尚、多くの墓の中にひときわ異彩を放つ数mの高さの墓がある。居合道の開祖で、
建立者には東郷平八郎をはじめとして貴族院議員徳富猪一郎も名を連ね、
裏面の碑文に加え傍らの歌碑は蘇峰の揮毫である。
午後は12人でスタート。鶴見川べりを国道駅まで。
今は無人駅となり、廃墟のように見えるが、鉄筋コンクリートでアーチ状の高い天井を備えた駅舎は、
昭和5年竣工当時にはモダンでにぎわっていたことがうかがえる。
昭和20年の横浜大空襲の機銃掃射の跡が壁面に残る。
鶴見線に浅野という駅がある。浅野財閥を一代で築いた浅野総一郎からとっている。
というのも、政府に頼らず京浜臨海部の埋め立て工事を推進したからである。
さらに、鶴見区には、浅野を冠した中高一貫校があるが、その初代校長水崎基一は同志社出身。
江戸時代には漁師町として栄えた生麦魚河岸通りは、残念ながら午前で営業を終了していて、
閑散としたなか、京急花月園前駅まで歩き、解散した。
オプションとして、生麦事件の発生場所(生麦4丁目)の説明板と、
英国人1名が絶命した生麦2丁目の碑(明治になって地元住民により建立)、
そして京急生麦駅までにも7名が参加した。
(宇野記)