(岸辺の道を歩く)
期 日 2013年6月10日(月) 晴
集合場所 東急田園都市線 二子玉川駅
参加人員 34名
歩行距離 6.0 km
案 内 人 半田 久(32文)
《コース》
二子玉川 ⇒ 兵庫島公園(体操・点呼)⇒ 岡本公園⇒ 永安寺 ⇒ 次代夫堀公園(昼食)⇒ 雁追橋 ⇒不動橋 ⇒ 成城学園(解散)
多摩川と、これに並行して続く国分寺崖線の緑の帯に挟まれた世田谷西南部の地域には野川、仙川、丸子川などの小河川が流れ、今なお豊富な自然が四季を通じて残っています。「岸辺の路」は、その風情を愛でる散歩道です。
二子玉川駅に集合、この辺り近年の変貌はめまぐるしく「ニコタママダム」なる言葉が通用するおどのファッショナブルエリアです。今回あえてそこを避けながら緑と水にこだわって歩きました。
兵庫島公園
多摩川と野川の合流点
昔、新田義貞の子義興が上野国より鎌倉に向かう途中、敵に謀られて最後を遂げた時、同じ舟に乗っていた由良兵庫助の屍が流れついたとの言い伝えからこ名がついたということです。憩いの地に残る思いがけない歴史悲話です。
東急田園都市線二子玉川駅界隈
玉川高島屋裏の小径を抜け玉電線路跡の遊歩道を歩くと、ひと際眼につく木々豊かな丘が国分寺崖線の緑の帯 です。多摩川が大昔から浸水を繰り返し台地を削って出来た崖で、高さは10m~20mにもなります。急速な開発により次々と姿を消した東京の自然ですが、 この難しい地形が今では貴重な緑を残したのです。
岡本公園
国分寺崖線の豊富な緑の帯を利用して作られた広場で傍を流れるのは丸子川、水辺に季節の花が咲き乱れているのが見えます。斜面の上は静嘉堂文庫です。
永安寺
延徳2年 清仙上人が開山した天台宗の古刹。境内には樹齢数百年と伝えられる2本の大銀杏が寺の歴史を伝えています。
永安寺境内
玉堤通を越え、野川べりを歩きながら次代夫堀公園を目指します。
次代夫堀公園
公園内を流れる小川は、徳川幕府より工事を任命された代官小泉次代夫の指揮によr慶長2年から15年の歳月をかけて堀削された「六郷用水」を再現した水路です。園内には江戸時代後半の典型的な農家や土蔵、田園なども復元された民家園となっています。
昼食風景
さて、午後のコース。
再び野川べりに出ます。野川は国分寺市を水源とし、崖線の湧水を集めて武蔵野台地を東南に流れ仙川と合流、やがて多摩川に流入する一級河川です。雁追橋を渡って世田谷通りを過ぎると高台に見えるのが成城の街、もう目前です。
茶屋坂の急斜面を途中で左折、成城の国分寺崖線に残る鬱蒼たる斜面林、「なかんだの坂」と「崖(はけ)の 林」を左右に眺めながら坂道を上がります。その先は不動橋、となりに架けられたのが富士見橋です。切り通しにあるため、晴れた日には富士山が拝め、多摩川 の平野から丹沢の山々までが一望できます。
ここを過ぎて端正な街並みを一直線に通り抜けると目指す終点「成城学園駅」です。
世田谷は昔ながらの自然の名残を留める地区、静かな品格のある住宅地と、時代に即した商業活動を展開する 街が絶妙な調和を作り出している地域です。蘆花を先駆として現在に至るまで数多くの文学者、芸術家が居を構えた事実が、とりもなおさず世田谷の文化的風土 の質の高さです。
梅雨の晴間、絶好のウオーキング日和に恵まれました。参加して下さった皆様に感謝です。
文責 半田 久(32文)