日 時 2012年6月15日(金)
集合時間 10時 天候 晴
集合場所 西武線池袋駅改札口(地上1階)
参加人員 32名
案 内 人 外村泰三(34法)
稗田賢二(34商)
村木文明(34経)
歩行距離 約4.9km
《コース》
池袋駅(西武線・JR線)⇒ 日の出公園(体操)⇒ 雑司ヶ谷霊園 ⇒ 護国寺 ⇒ 鳩山会館 ⇒聖マリア大聖堂 ⇒ 椿山荘 ⇒早大正門(解散)
(ビルの谷間の準備運動)
恒例により、先ずは歩くための準備運動を 日の出公園において 平岡氏(30商)の指導のもと行い、いざ出発
(雑司ヶ谷霊園)
御料地として、3代将軍家光の寛永15年(1638)に薬草栽培の御薬園となり、8代将軍吉宗の享保4年(1719)に御鷹部屋に変わり、将軍の鷹狩りに使う鷹の飼育場所として使われておりました。
御鷹部屋時代の松の大樹が今も霊園内に残っています。
明治7年(1874)東京府により共同埋葬墓地となりました。
ここで一寸したハプニングがあり、神隠しにあったのか10人ほどの迷子が出てしまったのです。
幸い現代兵器携帯電話のお陰で本体と合流することができました。
(護国寺)
この寺の創建は元和元年2月7日 5代将軍綱吉が生母桂昌院の発願により(群馬県)碓氷八幡の別当亮賢僧正を招き開山したとされています。
境内の東半分は皇族墓地となっておりますし、大隈重信 山縣有朋の墓地もあります。
二度の火災がありましたが、観音堂は残り、滋賀の三井寺から移築された日光院客殿とともに重要文化財に指定されています。
(鳩山会館)
ある意味「戦後政治の原点がここにある」といわれている鳩山会館も時間の都合により門前を通過するだけとなりました。
(東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂)
昭和20年(1945)第二次世界大戦の東京大空襲によって焼失した聖堂も丹下健三の設計により昭和39年(1964)12月8日落成、献堂式が行われました。
(椿山荘)
武蔵野台地の東縁部にあたる関口台地に位置し神田川に面したこの地は、南北朝時代から椿が自生する景勝地だったため「つばきやま」と呼ばれていました。
江戸時代は久留里藩黒田氏の下屋敷でしたが、明治の元勲山縣有朋が明治11年(1878)に購入、自分の屋敷として「椿山荘」と命名したものです。
2万坪の庭園は、春は桜、夏は蛍、池あり、滝ありで訪れた人を和ませてくれます。
その木々の中をくぐり抜け早稲田大学正門前まで行き解散となりました。