日 時:2014年11月18日(火)10時
集合場所:東京メトロ 丸の内線 茗荷谷駅改札
天 候:快晴
参加者数:29
案 内 人:因幡一男(37商)
歩行距離:6.0 km
≪コース≫
茗荷谷駅 ⇒ 竹早公園(体操)⇒石川啄木終焉の地⇒ 播磨坂 ⇒ 小石川植物園(昼食)⇒ 文京シビックセンター ⇒ カトリック神田教会 ⇒ 神保町古書店街(解散)
絶好の歩こう会日和に恵まれて晩秋の小石川界隈を散策した。雲一つない青空のもと、竹早公園での心地よいストレッチ体操をしたあと、近傍の石川啄木終焉の地を訪ねた。啄木は明治19年(1886)岩手県日戸村の生まれ、盛岡中学入学後「明星」を愛読し、文学を志した。小学校の代用教員となり、のち北海道の地方新聞社の記者になったが作家を志望して上京、朝日新聞社に勤務しながら「一握の砂」「悲しき玩具」など創作活動を行った。
明治44年8月本郷弓町の理容店喜之床の2階からこの地の借家に移ったが翌年4月結核で26歳の若さで病没するまで居住した。
石川啄木終焉の地碑
播磨坂は東京でも有数の桜の名所である。今は落葉さかんであるが満開の桜並木を連想しながら小石川植物園へと向かった。
播磨坂の桜並木
ここも大半は落葉さかんであったが枯葉を踏みながら青空に映えるピンクのコダチダリアの花や黄葉の大イチョウ(精子発見の記録樹)山本周五郎の「赤ひげ診療譚」の舞台にもなった小石川旧療正所の井戸などにも立ち寄るなどしてゆっくりと樹林の散策を遊んだなおここが東京大学の理学部の附属施設となり植物学の研究施設として生まれ変わったのは東京大学が開設された明治9年(1877)である。
小石川植物園にて
昼食は日本庭園の芝生に席を陣取り燦燦と日を浴びながら歓談とともにお弁当を楽しんだ。
日本庭園での昼食風景
お目当てのカタルパの木(大木)も見つけることができた。
カタルパの木
退園後はひたすら春日の文京シビックセンターへ。
短時間ではあったが25階の展望室から文京の近郊や新宿、池袋、上野、スカイツリーなど広角の遠望を眺めることができた。
この後 カトリック神田教会の礼拝堂を見学。明治5年(1872)パリ外国宣教会の司祭が麹町三番町に外国語学校を設置したのが始まり。
その後いまの猿楽町に移転。校内に聖堂を設置。保護聖人はフランシスコザビエル。大正2年の大火や12年の関東大震災時にも全焼。
昭和3年に現在の聖堂が完成。外観はロマネスク様式、内部はルネサンス様式の二つの建築様式を融合した建築物。震災復興期の設計のため鉄筋コンクリート造り。
神田神保町の古書店街は明治10年代にこの地域に相次いで創立された法律学校の学生を当て込んだ本の街で古書店も含めた法律の書店街が始まり。空襲も受けず。現在総数約200軒、この内110軒が古書店である。
(文責 因幡一男)