日 時: 平成27年11月18日(水)10時から
集合場所: JR日暮里駅北口
天 候: 曇りのち雨
参加人数: 33名
案内人: リーダー因幡一男(37商)
サポーター 木村ケイ(29文)半田久(32文)長久保文雄(35商)
歩行距離: 6km
コース:(御殿坂)本行寺⇒経王寺、出席点呼⇒(諏訪台通り)養福寺⇒浄光寺
⇒諏方神社⇒太平洋美術会⇒第一日暮里小学校⇒道灌山公園⇒富士見坂
⇒宗林寺⇒岡倉天心記念公園⇒夕やけだんだん、 昼食
⇒13時30分から14時30分 朝倉彫塑館見学 退館後雨のため解散
⇒希望者で幸田露伴居宅跡⇒天王寺五重塔跡⇒徳川慶喜墓地⇒JR鶯谷駅
谷中といえば寺町、霊園をすぐ連想するが谷中を包括する日暮里一帯は江戸中期から日暮れの里として
春夏秋冬、花見、月見、雪見、虫聴きの場所として文人・墨客に親しまれたところであった。
寺々は月見寺(本行寺)、雪見寺(浄光寺)、虫聴きの丘(道灌山公園)、萩の寺(宗林寺)
と呼ばれていた。
もう一つの顔は幸田露伴、夏目漱石などの文人に愛された場所で作品の舞台になったところでもある。
さらに日本美術界に大きな影響をもたらした芸術家ゆかりの場所でもあった。
朝倉文夫、高村光太郎、岡倉天心らがそれぞれの芸術の領域を広め、深めていったところであった。
さらに 江戸末期から明治に移行する時代の大転換期の舞台とも深く関わったところでもあり、
上野戦争で彰義隊の分屯所となった経王寺の山門には弾痕跡が残っている。
また霊園には最後の将軍、徳川慶喜の墓地をはじめ徳川将軍の霊廟が数多く静かにたたずんでいる。
このような視点を抱きながら日暮里・谷中を巡った。
昼食は谷中銀座でそれぞれお好みのお店で食事を摂った後しばしの時間、銀ぶらを楽しんだ。
午後からの圧巻は朝倉彫塑館の見学であった。
朝倉文夫が東京美術学校を卒業した明治40年(1907年)24才の時にここにアトリエと住居を
構えた。
増改築を繰り返し現在の彫塑館となったが自ら設計し細部に至るまで建物全体に工夫を凝らしている。
ここを「朝倉彫塑塾」として門下生の育成に努めた。
学芸員のアトリエトークと数々の作品の鑑賞、趣向を凝らした部屋と調度品、中庭の造形
さらに屋上菜園など朝倉芸術を堪能した。
朝倉彫塑館を出たところで天気予報通り雨が降り出して来たので
外村会長の判断で今日の歩こう会はここで解散とした。
そのあと10人ほどの希望者で幸田露伴ゆかりの地や五重塔跡地、徳川慶喜の墓を訪ね
寛永寺の広大な徳川家ゆかりの霊園を横に見ながら雨の中をJR鶯谷駅に向かった。
(因幡一男 記)