日 時:2015年3月25日(水)10時
集合場所:JR飯田橋駅西口改札
天 候:晴れ
参加人数:35
案 内 人:郷農恭子(38文)
歩行距離:5.8 km
≪コース≫
JR飯田橋駅 ⇒ 牛込見附跡 ⇒ 若宮公園 ⇒若宮八幡宮 ⇒ 宮城道雄記念館 ⇒ 光照寺 ⇒牛込城跡 ⇒ 善国寺・毘沙門天 ⇒ 本多横丁⇒かくれんぼ横丁・兵庫横丁 ⇒ 筑土八幡神社 ⇒白銀公園 ⇒ 尾崎紅葉旧居跡 ⇒ 矢来能楽堂⇒赤城神社(解散)
朝からよく晴れて少し風の吹くなかを歩き始めましたいつも多人数で歩くため、人気の神楽坂の街中は避け周辺を巡ります。そのため、奇しくも中世期この地を支配した豪族牛込氏に縁の場所を多く巡ることになりました。
≪牛込見附跡≫
駅傍にある江戸城の御門の一つで現在は石垣の一部や牛込堀や橋の跡も残っている。外堀通りを東京理科大学方向へと歩き、坂を上がります。
牛込見附跡の石垣
≪若宮公園≫
会長挨拶・準備体操・人数確認のための点呼を行う近くには源頼朝が建立したという「若宮八幡神社」があり、中世の名残を感じます。
若宮八幡神社
≪宮城道雄記念館≫
有形文化財だった宮城道雄邸は取り壊されていました歴史ある木造建築物の保存は難しいようです。
≪光照寺・牛込城跡≫
中世期にこの土地を治めていた豪族、牛込氏の城跡です。本堂わきには枝垂れ桃や二本の桜の名木がありました。また、諸国旅人供養碑もあります。毎年大晦日には再建された釣鐘の音が神楽坂の街に響くそうです。
地蔵坂(わらだな)を下って、神楽坂通りに出ますと善国寺の紅い門が見えてきます。
≪善国寺・毘沙門天≫
地元では毘沙門様{七福神}と呼ばれ、狛犬の代わりに「とら」が一対置かれています。
ここで記念写真です。
(集合写真)
善国寺の朱門を背景に
≪本多横丁・かくれんぼ横丁・兵庫横丁≫
本多横丁を進むと細い路地、曲がると「かくれんぼ横丁」です。そこを進んで右の奥には「旧常盤家」があります。「兵庫横丁」は石畳の路地に老舗の料亭もあり黒塀、見越しの木々など最も神楽坂らしい所です。
戦国時代に牛込城の武器庫{兵庫}があったことが名称の由来とか。旅館には野坂昭如や山田洋次が滞在したそうです。
横丁の路地を行く
≪筑土八幡神社≫
神社へ登る石段下で暖かな日差しのもと記念撮影。
石段途中に石造りの古い鳥居が残っています。
筑土八幡神社の石段にて
花のころは桜花のトンネルとなるようです。境内には、新宿区の有形民俗文化財の「庚申塔」や「花咲じじい」「牛若丸」などを作曲した田村虎蔵を讃える碑がありました。神社裏へ出て少し下がると三代将軍家光が鷹狩のために御殿を造ったことから、御殿坂と呼称されている坂があります。
≪島村抱月終焉の地~尾崎紅葉旧居跡≫
新宿区による説明があり、松井須磨子とのロマンス、芸術倶楽部があったことが記されています。ここから5分程歩くと「尾崎紅葉旧居跡」があります。私道の奥にあってわかりにくいが、新宿区の案内板が設置されています。泉鏡花もこの家の1階で起居したことがあるそうです。
≪あさひ児童公園≫
隣には新宿区の箪笥町特別出張所もあり、しばしの間小休憩です。
≪矢来能楽堂≫
貴重な国登録有形文化財です。新宿区では唯一の能楽堂とか、観世喜之家、通称矢来観世家です。明治時代に観世家から分家した観世流の一派です。
客席に座って能楽の歴史や舞台の構造などについて、詳しく説明を受けました。
矢来能楽堂
≪赤城神社≫
新潮社の前から小路へ入り、地下鉄神楽坂駅前を通り過ぎると、大鳥居が見え「赤城神社」に到着します。建替えてモダンになりカフエまであいました。
江戸時代には幕府より最高社格を授けられていました。明治時代には坪内逍遥ら文豪が会合を開いたという貸席もあったとか・・・脇の階段を下りると葵神社、稲荷神社など三社が合わせて祀られています。ここで解散となりました。
赤城神社の大鳥居
文責 郷農恭子