第177回 《 代官山駅から目黒天空庭園へ 》
日時 :2018年6月7日(木)午前10時
集合場所 :東急東横線代官山駅中央改札前
天候 :晴
参加人数 :32名
案内人 :河内和世(S42女子大)
サポーター:長久保文雄(S35 商) 大道一子(S38女子大) 小林繁蔵(S43法)
距離 :約5・5km
《コース》
代官山駅→旧朝倉家住宅→猿楽塚(神社)→デンマーク大使館→エジプトアラブ共和国大使館
→美空ひばり邸(記念館)→西郷山公園→菅刈公園→昼食(池尻大橋駅前商店会)
東山児童遊園に再集合→ 東山貝塚公園→文化浴泉→目黒天空庭園→上目黒氷川神社
→(解散)→池尻大橋駅
昨夜来の雨も上がり少し汗ばむようなお天気の中、32名の参加のもと最初の目的地である旧朝倉家に到着
旧朝倉家前庭で、駒田会長の挨拶と点呼の後 職員の大林様から各部屋ごとの資材や様式、
庭園の鑑賞の仕方等、熱心な解説をお聞きし、時間超過気味で、次の猿楽塚へ
猿楽塚の主墳は、渋谷区に唯一現存する区の指定文化財の古墳で、直径20m高さ5mで、
塚上には朝倉家建立の猿楽神社があり、すぐ近くの福墳は、直径12m高さ2mで目黒区
デンマーク大使館、エジプトアラブ共和国大使館を通り、昭和の歌姫 美空ひばり邸
(現在は記念館) 駐車場には 特別仕様のシルバーのキャデラックが当時のまま駐車
現在は西郷山公園と菅刈公園とに分かれていますが、明治7年に西郷従道が、
兄の再起を願って岡藩藩主中川侯より購入。
富士山が見え、山腹から清水が湧き回遊式池泉庭園の名庭園でした。
その後、従道が迎賓館として建てたフランス人技師レスカルによる西洋館は、
現在明治村にあります昭和18年旧国鉄が所有し、戦後この地は職員住宅として使用。
現在は目黒区が所有。近代造園史上、貴重な石組みが良好な状態で保存されていたため
平成13年、復元庭園として菅刈公園が開園。今も大イチョウ、三尊石は当時のままです。
庭園前で、吉川副会長より 7月総会の申し込み案内がありました。
南部橋を渡り山手通りから目黒川沿いを歩く。この辺りは 昭和30年代まで京都の鴨川で
よく見かけた友禅流しが行われていました。
東山児童遊園で昼食のため解散。約1時間後に再集合
昼食後は、目黒区に残る縄文時代の貝塚跡東山貝塚公園にある大正15年の宅地造成の際
見つかった竪穴式住居の再現住居と、崖下からの湧水のせせらぎを見学
昭和3年創業で、1987年~1987年テレビドラマの舞台となり、
今も現役の老舗銭湯の「文化浴泉」を通って天空庭園へ
大橋ジャンクションにあるクロスタワーの入口で、全員揃ってからエレベーターで、9階の天空庭園へ
そこは、ジャンクションに沿って楕円のリング状で、一周400m、幅は16~24m、
高低差24m、最も高い部分は地上35m、面積7000㎡
秋から春先にかけて展望テラスから富士山が見えるのですが、6月のため少し雲がかかり
残念ながら見る事ができませんでした
初夏の花《ぎんばいか、バイカウツギ、ばんまつり、ヤマボウシ、ハマナス、アジサイ》
果実《ゆすらうめ、はなもも、葡萄》等の植栽を見ながら、ゆっくりとスロープを下り、
庭園をバックに記念写真
庭園を抜け、歩道橋を渡って、上目黒氷川神社へ。
代官山トンネルの北側高台にあった元富士山頂の浅間神社が移され、他にも稲荷神社、北野神社が合祀。
登りは、富士塚参道として 1合目から10合目までのミニ登山道と52段ある石段との
二手に分かれて目黒富士山頂へ
境内で、高瀬さんから 7月の築地のコースの説明と駒田会長の挨拶の後、
別の道を通り玉川通りに下り解散。
それぞれ池尻大橋駅より バス、電車、少し休息の後の帰宅組等に別れました。
心配していたお天気にも恵まれ、最後までご一緒して頂いた事に、心より感謝いたします。
写真撮影は 村木 文明氏(S34経) (河内和世 記)