東京34年次会

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伊香保温泉への旅

伊香保温泉への旅

 

同志社東京34会では、卒業60年を記念して新島襄が明治27年7月27日から
9月15日までの51日間滞在した伊香保温泉と徳富蘆花がしばしば訪れ
小説「不如帰」の連載の書き出しに千明仁泉亭の場面が出てくるほど同志社と縁の深い、
群馬県渋川市伊香保温泉への旅を計画しました。

 

参加者は、齢80歳を超えたものの集まりでもあるためか僅か10名となってしまいましたが、
今回は特別に先輩である29年文学部卒の木村ケイさんと38年文学部卒の八戸奎子さんに
同行して戴きました。

 

まずは集合写真

 

往復の足は、新宿バスタからJR高速バスの「上州ゆめぐり号」でした。
終点の石段街に到着と同時に千明仁泉亭の事務員さんが車2台で迎に来てくれていまして、
先ずは徳富蘆花記念文学館を案内してもらいました。

 

徳富蘆花(健次郎)は明治元年に熊本県葦北郡水俣郷(現在の水俣市)に生まれ、
明治から大正時代にかけて活躍した文豪で、ベストセラーとなった「不如帰」をはじめ、
「みみずのたはごと」、「富士」など数多くの作品を発表しています。
蘆花は、同志社英学校に学びキリスト教の影響を受け、18歳の時に洗礼を受けました。

 

徳富蘆花とせいくらべ

 

千明仁泉亭では風呂に入りたいと駄々をこねたので止むを得ず「椅子に座り」
身体をしばりつけ入れたと言われており結構我儘だったようです。
私達も旅館に着き温泉に浸かりましたが、風呂の深いのにはびっくりでした。

 

翌11月15日(金)午前9時 伊香保観光協会のガイド 萩原氏と
伊香保ロープウエイの不如帰駅で落ちあい
終点の見晴台駅まで行き見晴台から赤城連山を臨み紅葉の美しさに嘆息しました。

 

伊香保見晴台の紅葉

 

紅葉を堪能した後もう一度ロープウエイで不如帰駅まで下りて
伊香保御用邸跡へと向かいました。
伊香保御用邸は明治26年に建設された離宮で、
皇室の避暑施設として利用されたものですが、
昭和27年に建物は焼失してしまっております。

 

つづいて伊香保温泉のシンボルとして親しまれる「石段街」へと足を運びました。
「石段街」は開湯した400年前にはじめて石段が作られ2度の改修を経て
現在ではその数365段となっております。

 

次に夜は紅葉がライトアップされて綺麗な「河鹿橋」の近くに湧き出る温泉があります。
ここに建つ若き日のベルッ博士の胸像があり、ベルッ博士は日本温泉医学の父であり
伊香保温泉にとって大恩人であります。
この時の指導内容が日本鉱泉論として発表され、日本温泉医学の原典になっています。

 

ベルッ博士の胸像

 

胸像の脇に記された文章

 

そして伊香保の関所へ下りてきました。関所の役人が座り検閲した石が残っていました。

 

取り調べ中の関所役人

 

今回の参加者は次の通りです。

特別参加者
 木村ケイ(29年文卒)    八戸奎子(38年文)
34会参加者
 相沢隆男(商) 榎本輝子(文) 小谷滋賀子(文) 高須賀敏子(女大)
 田口偉之(経) 外村泰三(法) 松田次夫(商)  松本 正(工)
 三輪善美(商) 村木文明(経)  以上12名    (文責)村木文明