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June 1, 2006
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昨2005年の校友会関連行事に参加しての思い出
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この度石原佐智子様(昭34卒)より、当支部との関わりを綴られた原稿が寄せられましたので、ここに掲載させていただきます。
少し曖昧な所がありますが・・・・
先ず1月ラグビー応援、同志社の席にいましたが、ご一緒した人たちが早稲田のOBで、帰りは慰めドリンクを付き合ってもらったので、何とも変な気持ちでした。
東京歩こう会、一月は七福神めぐりでした。東京歩こう会ははじめてでした。
三月、桜を求めて隅田川めぐり、蕾は固かったですが、アメリカから来た美人の妹が皆さんから、大歓迎していただいて、ことし(2006年)の四月の参加を計画しているようです。同志社男性は美人に弱い!
その後はボストン行きで東京支部とのお付き合いは休み、12月の忘年会に出て、新島先生の出身校フィリプスアカデミーにあるルートから個人的に招待されたこと、ボストンでの同志社の有名度の高さなどと、いろいろお話ししました。
其の外では,5月に春の集いで受付を初めてさせて頂きました。残念ながらクラスメートの講演はミスしましたが、このお仕事を通しての皆さんとの交わりは抜群で、今年の集いでは頑張るつもりです。
あれは何月でしたっけ? 6月?あたりに37会の三浦行き。10月にも、対馬行きに参加しています。これは、私の世界では絶対行けないところ、日本の歴史を見直しました。
これらに、刺激されて2005年5月、初めて34会が発足しました。10月には”がんこ”で会食会をひらきました。細々、後何年出来るかと思っています。
千葉校友会総会に10月に出ています。35年卒の吉田治男さんは、学生時代からの付き合いで、先ず千葉からデビュー、それから,東京校友会に出て、東京歩こう会を知り、野崎さんと出会い、私の世界が小さなボストンの世界から大きな同志社の世界に広がってきたと感じています。
これは余分かもしれませんが、新島襄研究会の会員になっています。学生時代にもっと勉強しておくべきでした。
佐智子
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May 15, 2006
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東京支部・入会にあたって
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今般同志社東京校友会に若手校友の吉川沙織様より以下のような嬉しいメールがありました:
(前略)
現在、業務の都合上、住まいは都内にあり、先ほど偶然校友会東京支部のWebページを拝見致しました。早速、加入致したくご連絡をさせて頂いております。お忙しいところ、お手数をおかけして大変恐縮ではございますが、手続き方、何卒宜しくお願い申し上げます。
(中略)
なお、○○○に勤務しながら、やはり母校で学びたく思い、2001年に同志社大学大学院総合政策科学研究科に進学し、土曜日を中心に通学し、2003年3月には同研究科を修了しております。宜しくお願い致します。
そこでWebsiteマネージャよりご本人の吉川沙織様に本同志社ネットに当支部ご入会の抱負みたいなものがあれば投稿してくださいませんかとお願いしましたところ、早速ご投稿をいただきました。ここにご紹介させていただきます。
『東京支部・入会にあたって』
同志社大学を1999年に卒業し、同志社大学大学院を社会人として2003年に修了した私が東京に越してきたのは、2004年9月のことでした。
校友会東京支部の存在を知ったのは、2006年4月となってしまいましたが、きっかけは偶然にも辿り着くことが出来た校友会東京支部のWebページでした。そのことが、私にとってはとても嬉しく、その日中に加入依頼のメールを事務局にお送りし、事務局の先輩方の迅速なご好意とご対応により、翌日には加入することが出来ました。
卒業年/修了年こそ最近ではありますが、学部時代には創立者・新島襄が脱国した地を訪れる「函館キャンプ」に参加したり、全国の私学で最初に設立された同志社大学学生健康保険・組合の活動に携わったりと、母校に対する想いは大きいものがあります。
また、学部を1999年に卒業して、民間企業に入社した後、働きながら政策を学ぶことを決意し、再び同志社に舞い戻って大学院の2年間を今出川キャンパスで過ごしました。当時、会社の業務をはじめとして、何足もの草鞋を履く結果となったため大変なことも多々ありましたが、今振り返ってみればとても充実した2年間となっています。
学部では学部の、院では院の多くの出会いと縁に恵まれましたが、卒業後/修了後は、その空間と少しずつ離れてしまい、さびしい思いをしていたところに、同志社校友会東京支部の存在を知りました。
同志社が結んでくれた、新たな出会いを私はまたひとつ手に入れることが出来ました。東京支部の加入をきっかけに、新たな出会いと多くの刺激に恵まれることを今から楽しみにしています。
吉川沙織 |
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Nov. 21, 2004
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同志社校友会東京支部の皆さんへ
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この度、野崎哲郎様、永山巌様のご協力によりまして、DESSeMailClubのホームページを開くことが出来ました。私達のグループは同志社大学ESSに所属しておりました昭和31年から昭和35年卒の同窓生で、皆さんとこれから楽しく過ごしたいと思っております。私達のホームにも是非、遠慮なく立ち寄って頂きたくお待ちしております。
上の画像をWクリックすることで、私達のホームページにどうぞ!
なおアドレスは「http://www016.upp.so-net.ne.jp/dess-email/」です。
DESSeMailClub会長: 牛尾正昭
(「サークルリンク」ページ内に上記画像のリンクボタンを常設しました。 Website
Manager永山巖)
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Oct. 7, 2004
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堀江咲夫老師よりの画像便り |
東京37会会員、現在中国・南昌大学にて日本語を教えて、5年目に入られた堀江咲夫様より画像便りがありましたので、ここに掲載させていただきます。以下は堀江老師(先生)の説明文です。
今年も新学期が始まり、9月15日頃からの軍事訓練(中国の大学ではみな同じです)が始まり9月30日までの二週間行われた。ご苦労様。最後の日には、教科書が配られ、ご苦労さん会の行事が、キャンパス内の大広場で「南昌大学舞踏(跳)大晩会」の後、「南昌大学2004年迎焔火大晩会」が開かれた。
画像説明:
[1] |
画像は「南昌大学2004年迎焔火大晩会」焔はyanで、炎の意味、即ち、花火大会が盛大に行われた南昌大学CCTVのTV画面を自宅のTVでデジカメでパチリと撮った画像である。
去年の一年生6000人、今年の新入生6000人以上、国慶節(10月1日)の前日、晴天に恵まれ屋外で行われた。 |
[2] |
「熱烈歓迎04級新同学」2004年入学の新同級生を熱烈歓迎します、との意味です。 |
[3] |
「祝新同学在南昌大学
生活愉快
身体健康
学業有成 (業は、簡体字) |
[4] |
タイトル画面 |
[5] |
9月28日軍事訓練のあと教科書が配られた。迷彩服姿のままで、教科書を受け取る。新一年生のクラスは、約40人、二クラスで、10月12日から授業がいっせいに始まる。私は新一年生の会話クラス担任、日本語は全く知らない。どのように教えようかな。去年担当しているから今年は去年よりも上手に教えられるはず。 |
[6] |
国慶節の帰郷が終わり、南昌に帰ってきた三年生の一人が、17時間掛かりましたといって、寮に帰る前に、お土産を持ってきてくれた。何だろうと思うと、母が帰りがけにかばんに入れてくれた先生へのお土産で、手作りの粽でした。肉入り、餡子入り、肉野菜入り、と三種類いただいた。早速お昼のご馳走に電気釜で蒸していただいた。とても美味しかった。忘れられない味になりそう。粽は、中国名産の大きな竹の葉に包んである。
(下の画像ボタンそれぞれをクリックして大きい写真をお楽しみ下さい) |
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Aug. 11, 2004
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高橋和子さんよりの画像便り (Aug. 11, 2004) |
7月16日の宵山の日中に、元のご近所の八幡山に母とお祝いに行き、上がらせていただきました。
近くの山鉾。放下鉾、郭巨山、四条傘鉾、月鉾、函谷鉾、長刀鉾と見てまわりました。
今年は、土、日にあたり、人出も多く、当日はテレビで中継を見て、楽しみました。
(文責: 高橋和子 昭44文卆)
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June 30, 2004
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高橋和子さんよりの画像便り (June 30, 2004) |
神奈川歩く会 6月13日(日)曇りのち晴れ
横須賀市阿部倉の菖蒲園に汐入駅から歩いて行きました。
初めにヴェルーニ公園にて準備体操を、山田明武先生の指導のもとに行なってから、歩き始めて、1時間、バス通りを坂上まで辿り着きました。
「花菖蒲 緑に映えて 立ち競う」
昼になり、予約をしておいた海軍カレーを賞味して後、園内を散策。
バスで汐入駅に戻り解散。お茶飲み会の人達、アルコール会の人達それぞれに分かれました。
(文責: 高橋和子 昭44文卆)
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