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Vol.10 文壇/放送界等での卒業生の活躍 |
最近、同志社校友の文芸・評論関係で顕著な受賞・発信が多く見られ、「大学人物一覧」から文藝関係の人物を拾い、選別し、個人で独断的に並べてみた。
確実性は疑問だが、参考にして同志社人の活躍を見ていただきたいと思う。
たとえば、山本兼一さんの、第140回直木賞受賞、「雑誌「アエラ」2009年2月16日号の記事「変革の人」に、佐藤優・勝間和代の対談があるが、本屋に行くと、二人の本がかなりのスペースを奪っている。
また「文芸春秋」2月特集号の保坂正康などなど、枚挙にいとまがない。
2009年2月10日
丸山 登 (S33経済)
注: 右の「・・・・・ランキング」の画像をクリックすれば丸山登さんがまとまられた詳しい一覧を見ることができます(WebManager) |
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Vol.9 豊嶋三千春 氏
昭和37年卒 金剛流金剛会相談役(重要無形文化財能楽保持者) |
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37会会員(京都市在住)、京都・金剛流の能楽師である豊嶋三千春氏は、平成18年度の文化庁芸術祭にて演劇部門の大賞を受賞されました。
大賞の対象となったのは平成18年(2006年)10月15日に京都・金剛能楽堂で催された「豊春会秋の能」で舞った「錦木(にしきぎ)」です。
授章理由:
「豊春会秋の能」における「錦木(にしきぎ)」の演技は、能という抽象化の強い演劇において、「錦木」の持つ多様な要素を見事に統一させ、心の闇に迷うシテの情念を詩情へと昇華させた。堅実な技能と品格に加えて、金剛流特有の大輪の華やかさを併せ持つ芸風が開花、結実した舞台であった。
平成19年1月11日に大阪ホテルニューオータニ大阪で贈呈式が行われました。
[豊嶋三千春さんのプロフィール]
昭和14年(1939年)人間国宝・豊嶋彌左衛門の長男として、京都に生まれる。
昭和20年 「三井寺」の子方で初舞台(5歳)
昭和49年 芸術祭優秀賞受賞
昭和56年 重要無形文化財能楽保持者(総合)指定
平成7年 京都府文化賞功労賞受賞
普及活動 など:
カナダ・アメリカ・イタリア(ローマ法王庁)・スペイン・オーストラリア・イスラエル等での海外公演も多数
金剛流学生能楽連盟を指導・若者の育成に貢献
金剛流金剛会相談役
日本能楽会会員
能楽協会会員
京都能楽会会員
(以上 「能楽タイムズ」より転載)
下の写真はクリックし大きくしてご覧下さい。
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Vol.7e
池谷薫 氏 1982年文学部卒 製作会社・蓮ユニバース代表
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参加していた香港国際映画祭で「蟻の兵隊」が「人道に関する優秀映画賞」を受賞しました。
http://www.hkiff.org.hk/eng/prog/award_list.php
香港国際映画祭は今年30周年を迎えたアジア最大規模の映画祭の一つです。
今年は内外から200本を超える映画が招待され4月4日から19日まで開かれています。
受賞した賞の正式名称は、中国語では「優秀紀録片人道奨」、英語では「Humanitarian
Award for Outstanding Documentary」です。
「人道」という言葉にこの賞の普遍的な意味が込められており、より一層嬉しい気持ちがいたします。
受賞もさることながら香港での「蟻の兵隊」の反響は想像以上のものでした。
世界初公開となった9日の上映には400人を超える観客が詰めかけ、エンディングロールが流れると同時にスタンディングオベーションを受けました。
真実を明らかにするため自身のつらい過去と向き合いながら旅を続ける元残留日本兵・奥村和一さんの姿は、香港の人々に多くの感動をもたらしました。
上映後のQ&Aでは、「被害と加害という言葉を超えた作品」「戦争と人間というテーマに魅せられた」という嬉しい感想から
「この映画は日本で支持されるのか」という日本人の良心を問う声まで、熱の入った質問を浴びせられました。
3年前「延安の娘」で参加した時はSARSの真っ只中で、香港はまるでゴーストタウンのようでした。
招待者のキャンセルが相次ぐ中映画祭に参加した私は、関係者をはじめ香港の多くの人たちに暖かく迎えられました。
今回はいつもの喧噪がみられ、映画を楽しむ人々の姿をあちこちの会場で見ることが出来ました。
先日お伝えしたように、「蟻の兵隊」は7月下旬より渋谷のシアター・イメージフォーラムほかでロードショー公開されます。
香港での受賞を励みに、今度は一人でも多くの日本の皆様にご覧にいただけるよう全力を尽くします。
チラシ・ポスター・予告編などの宣材も間もなく出来上がる予定です。
皆様の変わりないご指導ご支援を重ねてよろしくお願い申し上げます。
(有)蓮ユニバース
「蟻の兵隊」監督
池谷 薫(いけや・かおる)
「蟻の兵隊」公式HP http://www.arinoheitai.com
関連サイト:「蟻の兵隊を観る会」ブログhttp://blog.livedoor.jp/the_ants/archives/50186004.html
「蟻の兵隊・竹藪勝手連」http://wind.ap.teacup.com/arinoheitai/ |
Vol.7d
池谷薫 氏 1982年文学部卒 製作会社・蓮ユニバース代表
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待ち望んだ桜もあっという間に見頃を過ぎようとしていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
おかげさまで「蟻の兵隊」(http://www.arinoheitai.com)は7月下旬より渋谷のシアター・イメージフォーラムほかでロードショー公開されることになりました。(大阪は第七芸術劇場で同時公開の予定。その他主要都市での劇場公開、また自主上映会も積極的に行っていきます。)
うれしいことに試写を観て感動してくれた人たちが集まり、「蟻の兵隊を観る会」という勝手連的な上映支援の会をつくってもらいました。
「観る会」のメンバーは、反戦非戦にとどまらず、教育・環境・社会福祉・日中友好など、さまざまな市民活動をネットワークしようと忙しい合間を縫って活動を続けてくれています。中心になっているのは主婦や大学生など普通の市民の方々です。会の目標は首都圏前売りチケット1万枚と自主上映全国300カ所だそうです。
「蟻の兵隊」は上映運動自体に大きな意味があると考えておりますので、このような応援団ができたことに幸せを感じています。
「蟻の兵隊を観る会」にご関心のある方は以下のサイトをご覧ください。
「蟻の兵隊を観る会」問い合わせ先the_ants@white.livedoor.com
関連サイト:「蟻の兵隊を観る会」ブログhttp://blog.livedoor.jp/the_ants/
「蟻の兵隊・竹藪勝手連」http://wind.ap.teacup.com/arinoheitai/
4月9日、12日には香港国際映画祭で上映されます。香港の方々の反応がとても楽しみです。
またチラシ、ポスターも4月20日ごろには出来上がり、ホームページも近々リニューアルいたします。
夏の公開に向けて、一人でも多くの方々にご覧いただけるよう全力を尽くします。
これからもご支援ご指導のほど何卒よろしくお願い申し上げます。
(有)蓮ユニバース
「蟻の兵隊」監督
池谷 薫 |
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Vol.7c
池谷薫 氏 1982年文学部卒 製作会社・蓮ユニバース代表
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ソーシャルネットワークシステムといわれているネットの社交場「ミクシイ」に、「蟻の兵隊」のコミュニティが立ち上がりました。HPでは知ることのできない「蟻の兵隊」のさまざまな情報が今後盛りだくさん寄せられていくと思います。
夏の公開に向けて、この「ミクシイ」でも「蟻の兵隊」の輪を広げていこうと思っています。
すでにご入会の方、ご興味のある方、ぜひ一度覗いてみて下さい。
コミュニティのサイトはhttp://mixi.jp/view_community.pl?id=457078
なお「ミクシイ」は会員制で入会には紹介者が必要となります。登録料は無料です。
ミクシイのHPはhttp://mixi.jp/ 私に連絡くだされば招待メールを送らせていただきます。
「蟻の兵隊」を一人でも多くの人に観てもらえるよう頑張ります。これからも応援よろしくお願いいたします。
蓮ユニバース 「蟻の兵隊」監督 池谷 薫(いけや・かおる)
e-mail: gon-ren@wa2.so-net.ne.jp |
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Vol.7b
池谷薫 氏 1982年文学部卒 製作会社・蓮ユニバース代表
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池谷薫さん監督の映画「蟻の兵隊」が香港国際映画祭に選ばれました。 ---------------------------------------------------------------------------
「蟻の兵隊」が4月に行われる香港国際映画祭に選ばれました。ドキュメンタリーのコンペ部門への出品です。公開の方は残念ながらまだ決定には至っていませんが、これから宣伝活動に全力で取り組んでいきます。
その一環として、これまでご無沙汰の多かったHPのブログを、心を入れ替えて「ほぼ毎日」更新することにしました。
http://www.arinoheitai.com/blog/index.html
ぜひぜひ覗いてメッセージを寄せて下さい。今後とも応援よろしくお願いいたします。
蓮ユニバース 「蟻の兵隊」監督 池谷 薫
メール転送大歓迎です!!
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Vol.7a
池谷薫 氏 1982年文学部卒 製作会社・蓮ユニバース代表
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池谷薫さん監督の映画「蟻の兵隊」が完成しました。 当ホームページに寄せられた氏のお便りを、以下にそのまま掲載させて頂きます。
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(有)蓮ユニバース
「蟻の兵隊」監督 池谷 薫
プロデューサー 権 洋子
皆様に支えられて「蟻の兵隊」は昨年11月に完成いたしました。
ご支援をいただいたすべての方々に深く感謝いたします。 現在は、今夏の公開に向けて準備を進めているところでございます。
当初は自主上映中心に上映活動を行おうと考えておりましたが、憲法改定問題など日本が重大な岐路に立たされている今だからこそ主義主張にかかわらず大勢の人に観てもらうべきだと考え、劇場公開も目指すことにいたしました。
詳細が決まり次第、またご報告させていただきます。
昨年は人の命があまりにも粗末に扱われる事件が続発しました。
戦後60年もの間、一人の男を捉えて放さない戦争とは何かと問いかけることで、命の尊さを少しでも伝えることができれば幸甚に存じます。
映画は大勢の方に観られて初めて鼓動を始めます。
今後は一人でも多くの人に観てもらうために微力ながら全力を尽くす覚悟です。
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Vol.8
福山哲郎 氏 1986年法学部卒 民主党議員
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朝日新聞が、朝刊で「9月の自民党総裁選、その後に予想される総選挙と続く『選択の季節』に民意は何を求めているのか。各界の人に聞いた」として、「決戦・選択」欄を、8月19日から連載しています。そこには、学者、中小企業経営者、町長などが登場していますが、わが校友の若手・参議院議員の福山哲郎氏も22日に登場しました。主張への賛否はともかく、福山さんのご活躍を紹介する意味で朝日新聞の記事をここに転載させていただきました。なお、福山さんは9月6日、政法会東京支部の総会で講演いただく予定です。
下の写真は上記朝日新聞の記事です。クリックして大きくしてご覧下さい。
朝日新聞社に無断で転載することは禁止されていますのでご注意ください。
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Vol.7
池谷薫 氏 1982年文学部卒 製作会社・蓮ユニバース代表
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(以下は池谷氏ご自身にご投稿をお願いし頂戴しました原文のままの掲載とさせていただいております)
私が監督を務めたドキュメンタリー映画『延安の娘』が、11月11日より恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館にてロードショー公開されることになりました。映画の内容をパンフレットから簡単にご紹介させていただきます。
“黄土高原が果てしなく続く中国革命の聖地・延安。貧しい農村の娘・海霞(ハイシア)は、生まれてすぐに自分を棄てた実の親を捜していた。彼女の両親は、文化大革命の時代、毛沢東の指令によって北京から下放された紅衛兵だった。「私は、なぜ生まれ、棄てられたのか?」真実を求める彼女の旅は、30年の空白の果てに、かつての下放青年たちに波紋を広げていく…。”
『延安の娘』は、激動の社会に翻弄された若者たちのその後を、娘の再会を軸に描く壮大なドキュメンタリー映画です。私は82年に文学部を卒業後、テレビドキュメンタリーの分野で創作活動を行ってきました。そして天安門事件のあった89年からは中国をライフワークとさだめ、主にNHKスペシャルで一人っ子政策や土地の競売に狂奔する農民たちなどの番組を発表してきました。『延安の娘』は、初の長編劇場映画となります。中国を志す者にとって、文革は避けては通れないテーマの一つでしたが、主人公であるかつての紅衛兵たちの、「自分たちの存在を人々の記憶に留めたい」という激しい思いに支えられ、3年がかりで完成することができました。おかげさまで昨年のベルリン映画祭をはじめ、世界各地の映画祭で高い評価をいただいております。
なにぶん夫婦二人の貧乏プロダクションのため、十分な宣伝活動は行えませんが、この映画を一人でも多くの方々にご覧いただきたいと願っております。どうか校友の皆様、ご支援のほど何卒よろしくお願いいたします。
なお、9月のはじめには映画のホームページ(http://www.en-an.com)が立ち上がります。それまで、この映画にご関心をお持ちの方は下記のアドレスにメールをいただければ幸いです。
gon-ren@wa2.so-net.ne.jp
(左3葉のスチール写真をそれぞれクリックすれば大きい写真を見ることができます)
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Vol.6
井上清治 氏
(法学部1992年卒)UNHCRへの寄付窓口担当
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パキスタンに逃れたアフガン難民
UNHCR / P.Benatar
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同志社大学の法学部を1992年に卒業後、サウスキャロライナ大学大学院で国際関係論を学んだ井上清治さんは、現在、日本国連HCR協会(通称:HCR協会)に勤務し、寄付担当をしています。
HCR協会は、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の日本における募金窓口として、ジュネーブ本部の支援を受けて設立された特定非営利活動法人です。
「UMHCRは、人種、宗教、政治的理由による迫害や、戦争・内乱により、祖国から逃れざるを得ない難民を保護・支援する国連機関として1951年に活動を開始しました。現在では国内に留まりながらも、故郷から逃れ、難民と同じような状況にある人々(国内避難民)もその支援対象としています。UNHCRでは現在、約2,000万人の難民・国内避難民を援助対象者としていますが、その約8割は女性と子どもであり、約5割は18歳以下の子どもたちです。
1991年より10年間、緒方貞子氏が高等弁務官を務め、日本でもUNHCRが知られるようになりました。しかし、まだまだ知名度は低く、ましてやHCR協会の存在はあまり知られていないのが現状です。この「同志社校友会東京支部」を通じて、より多くの校友にUNHCRとHCR協会を知っていただければ幸いでs。」
と元気に話してくださいました。
現在同志社校友会東京支部で「春の集い」の種々のボランティアを始めた若手の有望な校友です。
詳しくは、http://www.japanforunhcr.orgをご覧下さい。
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上記の記事は『同志社タイムズ』の3月15日付け第576号に掲載されています。 (2003/05/22 HP部会扱い)
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Vol.5 多田穣 氏
体育会委員長としての経験は、貴重な財産 − 会社で生かされた! |
これをクリックして記事をお読みください
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多田穣さんは、1994年法学部卒業後、JR東海に入社しましたが、そこでの仕事に同志社大学時代の経験が大いに役立っているということです。
射撃部に入り、併せて、体育会委員長を努め、各体育会系クラブの主将や主務との会議、学生部との調整、スポーツユニオンとの交流、折衝大活躍をされたそうです。そこでの活動で、横の調整、各クラブの、「小異を捨てて大同につける」コーディネイト力が養わたといいます。この経験がJR東海グループの3大プロジェクトの一つとされていた、日本一の大きさの超高層複合ビル(駅+ホテル+デパート+オフィス)、JRセントラルタワーズ(名古屋駅ビル)を立ち上げる一人となったのです(1999年から2000年にかけてグランドオープン)。この事業は不況下でも予想を上回る成功を収めているそうです。
多田さんは、「大きな事業の現場を体験して感じたことは、上意下達も必要ですが、横の連絡を密にし、理解しあってみんなで前へ向かうときに、大きな力が発揮されるということです。これこそ、私が体育会委員長として体験したことであり、同志社人の良き気風が生かされる状況なのです。」と言っています。 |
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上記の記事は、同志社大学広報課の発行する「One
Purpose」134号(2003年4月)掲載の、『私と「仕事」』欄の要約で、詳しくは同誌をご覧下さい。
(April, 2003 昭37工卆射撃部OB 野崎哲郎 ) |
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Vol.4 伊藤雅仁 氏
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昭和61年同志社大学商学部入学
昭和63年アイセックを通じ米国ベックマン社にインターンとして勤務
平成3年商学部卒、三菱銀行入行
平成11年ソフトバンク入社
平成12年イーローンとグッドローン社長就任
平成13年インスウェブ社長を兼務
「平成3年卒なのですが、本来は2年卒で、田辺の一期生でした。4回生の時1年休学しまして、米国の方へ。アイセックというサークルがありまして、日本語では「国際経済商学学生協会」と言い、経済、ビジネスを通して世界平和に貢献することが会の趣旨で、インターシップ事業やセミナー等、学生が自主的に運営している団体です。その中で米国へ行く機会があり、9ヶ月ほどベックマンという企業でインターンとして仕事をさせていただきました。」
「経営者として、組織運営を柔軟にし、自由闊達な雰囲気を作りたいと思っています。強く意識したことはないんですが、そのへんは同志社で学んだことだと思いますね。」
(2002年11月) |
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Vol.3 宇治郷毅 氏 |
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昭和41年同志社大学法学部政治学科卒
昭和43年大学院法学研究科修士課程終了
国立国会図書館副館長
「もう一度生まれ変わって、大学を受け直すとしたら、やはり同志社。高校時代にキリスト教に出逢い洗礼を受けた宇治郷氏が当初希望していた学部は神学部。親の反対で適わなかったものの、キリスト教学生会での活動に没頭した4年間。学生運動が盛んな時代を背景に中国、朝鮮研究を進め韓国の国民的詩人・ユン・トンジュに出会う。彼についての研究は現在に至るまで続き、このほどそれらを取り纏め一冊の本として出版する事を計画している。題名は「詩人ユン・トンジュへの旅」(予定)。同志社で学んで良かったと思うことは、「何よりも良い友達に恵まれた事、そして新島精神に触れたこと。」
(2001年5月) |
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Vol.2 大久保利次郎 氏 |
昭和45年同志社大学工学部電子工学科卒
株式会社東京カソード研究所代表取締役社長
良心碑の言葉を経営の原点とする大久保氏は卒業後30年を経た今も時折思い出しては京都・同志社を訪れると言う。同志社で過ごした4年間は何物にも代え難いと語る氏は東京生まれでありながら自由とロマンを求めて同志社に入学。大学時代はハイキング同好会に所属し、比叡山、伊吹山をはじめとする関西の山々を歩き続けた。京都での奥様との出会いを経て今再び東京で活躍する企業経営者の経営理念には、現在も同志社で培われた良心に裏打ちされたスピリットが脈々と流れている。
(2001年2月) |
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大久保利次郎氏のインタビューを「同志社東京ニュース」2001年2月号に掲載しましたのでご覧下さい。
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Vol.1 廣田隆一郎 氏 |
昭和34年同志社大学商学部卒
株式会社アイテック 代表取締役
北京科技大学中日経済技術学院 理事長
「プレジデント」2000.12.4号にて「平成の新島襄」と紹介された廣田隆一郎氏のライフワークは「中国に30の学校をつくる」事。その目的は、「日本の将来の為に、人口13億人を擁する巨大な隣国・中国において、親日派ではなく、[知日派]を育成する事」と明快だ。
既に1995年、北京に中日経済技術学院を設立した。中国政府が認可し、日中の理事会が運営する、中国史上初の「国立民営」大学の誕生である。
外国における学校設立という壮大なビジョンは、中国に対する氏の造詣の深さも勿論の事、同志社を設立した新島襄の精神に触れなければ描けなかっただろうと言われる。まさしく新島によって蒔かれた種が、120年を経て見事に結実した出来事に他ならない。
氏は現在、企業経営者として多忙な毎日を送る傍ら、名だたる財界人達の支援を背に、NPO方式で今後さらに30の学校設立を目指している。博愛と建学の精神を新島から引継いだ同志社人は、21世紀に新たな歴史を隣国中国でも刻んで行くに違いない。
(2000年11月)
廣田隆一郎氏へのインタビューを「同志社東京ニュース」2000年11月号に掲載しましたのでご覧下さい。
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